あなたもできる

 困難が​襲ってくるかもしれないから、​予め言って​おきたい。​疲労や​落胆を​狙って​やってくる​誘惑である。

​ あなたの​過去の​生活は、​方向も​目的も​魅力も​なかったが、​神の​光と​あなたの​献身の​おかげで​方​向が​定まり​喜びに​満たされた。​この​ことは​まだ​記憶に​新しいのではないか。

​ それを​また元に​戻すような​馬鹿な​真似を​してはならない。

 理由は​ともあれ限界だと​分かった​ときは、​主に​お話しして、​すべてを​お任せしなさい。​「主よ、​あなたを​信頼し、​あなたに​すべてを​委ねます。​ただし、​私の​弱さを​助けてくださらなければなりません」と。

​ 信頼を​込めて​申し上げなさい。​「イエスよ、​私は​汚い​布(ぬの​)切(き)れです。​私の​生き方は​まことに​嘆かわしく、​神の​子と​呼ばれる​資格が​ありません」。​幾度も​こう​繰り返しなさい。

​ 「恐れるな」、​あるいは​「立って​歩きなさい」と​いう、​主の​声が​間もなく​聞こえてくるだろう。

 主が​今まで​以上に​多くを​要求される​ときは​直ぐに​分かる​ものです。​まだ​決心が​つきかねているようだったが、​あなたは​こう話してくれた。

​ 唯一の​望みは​神と​ひとつに​なる​ことです、と念を​押していた​あなたなのに、​なぜ抵抗するのか?​ 私は​これだけを​言っておいた。

 ​「毎日、​わずかずつ​自らに​死ぬ」と​いう​あなたの​決心を、​是非とも​果たして​ほしい。

 喜びに​溢れ、​超自然的・​人間的に​楽観しているとは​言え、​身体の​疲れや​苦しさ、​心が​あるから​流れ出る​涙、​内的生活や​使徒職の​種々の​困難が​消えてしまうわけではない。

​ 〈完全な​神であり完全な​人〉である​御方は、​天国の​すべての​幸せを​持っておられたが、​労苦と​疲労、​涙と​苦しみを​すすんで​経験された。​実は、​超自然的になろうと​すれば、​すこぶる​人間的に​ならなければならない​ことを、​私たちに​理解させる​ためだったのだ。

 イエスは​もっと​祈れと​要求される。​この点は​あなたにも​明らかである。​それにも​かかわらず、​あなたの​応じ方の​なんとけちくさい​ことか。​何を​するにも​骨が​折れる。​まるで​歩く​練習を​面倒がる​子供の​ようだ。​ ところであなたの​場合は、​怠け心だけでなく、​物惜しみや​恐れの​問題も​ある。

 重ねて​申し上げなさい。​「イエスよ、​あなたの​要求と​私自身の​高貴な​野心の​どちらを​選ぶべきかに​ついて、​万一心に​迷いが​生じた​ときの​ため、​今から​申し上げます。​たとえ犠牲を​要する​ことであっても、​あなたの道を​選びます。​どうか​私を​見放さないでください」。

 神との​一致を​求め、​確かな徳である​希望で​満たされなさい。​たとえ闇夜であっても、​イエスは​慈しみ深い光を​注いで、​あなたを​明るく​照らしてくださるだろう。

 あなたは​次のように​祈った。​「惨めさがの​しかかってくるが、​私は​神の​子であるから​屈伏しない。​償い、​そして​愛するのだ」。​そして​「聖パウロに​あやかり、​主に​信頼を​置く​者が​見放される​ことはないと​確信し、​自分の​弱さを​活用したいと​思います」と​言い​添えた。

​ 私は、​そのまま​続けなさい、と​言ってあげた。​神の​恩恵を​受ければ、​惨めさと​卑しさは​克服できるからである。

 効果的な​決心を​立てる​ためや、​信じますと​言ったり、​希望しますと​言ったり、​愛しますと​言う​ために、​具合の​悪い​時など​あり得ない。

 御父と​御子と​聖霊の​称(たた​)え方を​身に​つけなさい。​至聖三位一体への​特別な​信心を​持ちなさい。​「父なる​神を​信じ、​子なる​神を​信じ、​聖霊なる​神を​信じます。​父なる​神に​希望し、​子なる​神に​希望し、​聖霊なる​神に​希望します。​父なる​神を​愛し、​子なる​神を​愛し、​聖霊なる​神を​愛します。​至福なる​三位一体の​神を​信じ、​希望し、​愛します」。

​ 霊魂の​超​自然的な​訓練と​して、​この​信心を​実行する​必要が​ある。​必ずしも​声に​出せと​いうわけではないが、​少なくとも​心の​中で​実行すべき信心である。

 超​自然の​実が​豊かに​結ぶ​生き方を​望むなら、​「彼らは​皆、​…心を​合わせて​熱心に​祈っていた」と​いう​使徒言行録の​勧めに​従わなければならない。​これこそ​聖霊が​お与えに​なるただ​一つの​手順・方​法・​手段である。

​ 祈りが​なければ、​何も​できない。

 ​私の​主イエスは、​善良な​人々​全員の​心を​すべて​合わせたよりも​更に​優しい​心を​持っておられる。​善良な​人​(普通の​善人)なら、​ある​人が​見返りや​代償を​要求せず​(純粋な愛で)​自分を​愛してくれ、​また​その​人の​唯一の​望みは​愛する​人が​自分の​愛に​わずかでも​反対しない​ことであると​分かれば、​時を​置かず​その​無私の​愛に​応える​ことだろう。

​ 愛される​側が​何でも​できる​力強い​御方なら、​人間の​(惨めさだらけとは​言え)​忠実な​愛に​応えてくださるだけでなく、​ご自分を​愛する​人に​必要な​限りの​超自然的美しさと​知識と​力を​お与えに​なるだろう。​主を​礼拝する​哀れな心を​ご覧に​なっても、​イエスの​御目が​汚れないためである。

​ 子よ、​愛しなさい。​愛し、​そして​希望しなさい。

 犠牲を​払って​愛の​種を​蒔けば、​必ず愛を​収穫できるだろう。

 子よ、​すべての​人が​主を​愛するように、と​熱い​望みで​心が​燃え​上がらないのだろうか。

 幼子イエス、​少年イエス。​主よ、​私は​好んで​このような​あなたを​眺めます。​私が​もっと​大胆に​なれるからです。​寄方​(よるべ)なく​幼い​あなたを​眺めるのが​好きなのです。​あなたには​私の​助けが​必要であると​考えると、​嬉しくなるからです。

 聖堂に​入った​とき、​― 子供に​戻った​私は​ ― いつも​主に、​あなたを​他の​誰にも​増してお愛ししております、​と​申し上げる​ことに​している。

 信心を​込めて​頻繁に​ご聖体を​拝領する​人は、​まず​自分の​精神に、​そして​行いに、​素晴らしい​効き目が​あるのを​みて​驚く​ことだろう。

 パンを​増やす奇跡が​いかに​素晴らしいとは​言え、​一片の​パンに​あの​人たちが​あれほど​夢中に​なって​喝采したのであれば、​たくさんの​賜物、​中でも​ご聖体に​おいて​余す​ところなく​御自らを​捧げてくださった​御方に​対して、​私たちは​どう​すれば​よいのでしょうか。

 良い子よ、​この​世の​恋人たちは​花に、​手紙に、​愛する​人の​思い出の​品に、​接吻するだろう。

​それにも​かかわらず、​常に​傍に​居てくださる​御方を​忘れるような​ことが​あって​よい​ものだろうか。​いつでも​食物と​していただく​ことのできる​御方を​忘れてしまって​よいと​いうのだろうか。

 ​何度も​聖堂に​立ち寄って、​「あなたの腕に​私自身を​委ねます」と​イエスに​申し上げなさい。

​ あなたの​持っている​もの、​つまり​あなたの​惨めさを、​主の​足元に​差し出しなさい。

​ そう​すれば、​たとえ無数の​問題を​引きずっていると​しても、​あなたが​平和を​失って​私を​悲しませる​ことは​ないだろう。

 詩編作者と​一緒に​確信して​祈りなさい。​「神は​わたしたちの​避けどころ、​わたしたちの​砦。​苦難の​とき、​必ず​そこに​いまして​助けてくださる」。

​ 年齢も​徳も​円熟の​域に​達しているはずであり、​頼りに​できるのは​神のみである​ことも​十分​知っているはずなのに、​誘惑を​受け、​罪を​犯したとしても、​いわゆる​〈真昼の​悪魔〉の​企(たくら)みに​負けないように​主が​守ってくださると​保証できる。

 嫌々​何かを​してあげて​感謝されるとでも​思っているのだろうか。​分かりきった​ことだが、​そんな​ことはない。​時には、​何もして​もらわない​ほうが​良かったとまで​思われるだろう。

​ 仏頂面で​神に​仕える​ことができるとでも​思っているのだろうか。​答は​「ノー」である。​たとえ惨めさだらけであっても、​神の​助けを​得て​それらを​取り除いていくのだから、​喜び​勇んで​神に​仕えなければならない。

 疑いや​誘惑が​優雅な​顔を​してあなたを​襲う。​悪魔は​あなたを​敵と​見做しているらしい。​また、​神が​あなたに​恩恵を​お与えに​ならないはずは​ないと​いう​あなたの話を​聞くと、​私は​嬉しくなる。​戦いを​続けなさい。

 個人的な​問題で​苦しむ人の​大半は、​利己主義に​負けて​自分の​ことしか​考えないから​〈苦しむ〉。

 すべては​平穏な​ようだ。​しかし、​神の​敵は​眠らない。

​ イエスの​聖心も​見張りを​してくださっている。​これこそ、​私の​希望である。

 聖性とは​戦う​ことであり、​自分に​欠点が​ある​ことを​認め、​それを​避ける​ために​英雄的な​努力を​する​ことである。

​ 繰り返すが、​聖性とは、​私たちの​欠点を​克服する​努力の​ことである。​しかし、​死ぬときにも​欠点は​残っているだろう。​前にも​言ったように、​そうでないと​私たちは​高慢に​なってしまうからである。

 主よ、​感謝いたします。​あなたは​誘惑を​お許しに​なる​とき、​私たちが​勝利者に​なれる​よう、​美しく​力強い​恩恵を​も与えてくださいます。​私たちが​謙遜に​なる​ために​誘惑を​お許しに​なる​あなたに​感謝いたします。

 わが​主よ、​私を​置き去りに​しないでください。​あなたの​哀れな子である​私が、​底なしの​淵に​落ち込んでしまう​ことを​ご存じないのでしょうか。

​わが​母よ、​私も​あなたの子なのです。

 神の​助けが​なければ、​清い​生活を​続ける​ことは​できない。​私たちが​謙遜に​なって、​私たちの​母であり主の​御母である​方の​執り成しに​よって​神の​助けを​願う​よう、​主は​望んで​おられる。

​ 聖母と​ふたりだけの​孤独の​中に​いる​今、​心の​中ですぐに​申し上げなさい。​わが​母よ、​私の​哀れな​心は​時々​反抗しますが、​もし助けてくだされば…。​こう​お願い​すれば、​心を​清く​保ち、​神の​お呼びに​なった​道を​歩み続けられる​よう、​聖母が​助けてくださるだろう。​神のみ​旨を​常に​容易に​果たせる​よう、​処女マリアが​助けの​手を​差し​伸べてくださるのである。

 聖なる​純潔を​保ち、​清い​生活を​送るには、​日々の​犠牲を​愛し、​実行しなければならない。

 哀れな​肉体に​時々激しく​襲い​かかってくる​棘(と​げ)を​感じたなら、​十字架に​接吻しなさい。​たとえ愛が​こもっていないようでも、​固い​意志が​あれば​よいから、​幾度でも​十字架に​接吻しなさい。

 毎日、​主の​前に​立ち、​福音書に​出てくる​あの​助けを​必要と​する​人のように​精一杯の​心を​込めて、​ゆっくり申し上げなさい。​「主よ、​見えるようになりたいのです」。​み旨が​見えますように、​あなたへの​忠実を​保つため戦えますように。

 わが​神よ、​あなたは​良い​羊飼いであり、​私たちは​あなたの羊の​群である​ことを​知っていれば、​堅忍も​至って​容易な​ことです。

​ 良い​羊飼いが​ご自分の​羊一頭​一頭の​ために​全生命を​捧げてくださる​ことは​明らかだからです。

 ​今日、​あなたは​祈りの​中で、​聖人に​なる​決意を​固めた。​さらに​あなたは​「この​決心を​実現させる​つもりです。​しかし​こう​言うのは、​自信が​あるからではなく、​あなたが​必ず助けてくださると​確信しているからです」と​付け加えた。​私には​その​気持ちが​よく​分かる。

 恩恵の​助けを​頼りに​せず、​自分の​力だけに​頼るなら、​役に​立つことは​何も​できない。​神に​繋がる​道を​断ち切る​ことに​なるからである。

​ 逆に、​恩恵が​あれば、​すべてが​可能である。

 キリストに​学び、​その​生活を​模範に​したいと​思うのか。​福音書を​開いて、​神と​人々、​神と​あなたとの​語り合いに​耳を​傾けなさい。

 イエスは​何が​適切かを​よく​ご存じである。​だから、​私は​そのみ​旨を​愛しており、​常に​愛する​つもりで​いる。​主こそ​〈人形〉を​操る​御方であり、​たとえ神を​信じない​人々が​必死に​なって​邪魔を​した​ところで、​私たちの​目的に​達する​ための​手段で​あれば、​お願い​する​もの​すべてを​お与えに​なるだろう。

 本物の​信仰か​どうかは、​謙遜か​否かに​よって​明らかに​なる。

​ あの​かわい​そう​な​女性は、​「『​(イエスの)服に​触れさえすれば​治して​もらえる』と​心に​言い​聞かせていた」。

​ なんと​謙遜な​人だろう。​これこそ​彼女の​信仰の​実り・信仰の​しるしである。

 神が​あなたに​重荷を​お与えに​なったのなら、​力も​下さるだろう。

 良心の​糾明を​する​ときには、​聖霊に​助けを​願いなさい。​あなたが​もっと​深く​神を​知り、​自分​自身を​知って、​日々の​改心を​実現させる​ためである。

 霊的指導の​時には、​あなたが​どの​程度まで​神に​栄光を​帰する​ことができ、​また​そうしたいと​望んでいるかを​確かめる​ため、​超自然的な​感覚を​もって​聖なる​恥知らずと​なった​霊的指導者が、​あなたの心を​かき混ぜるだろう。​それに​抵抗してはならない。

 ​「どうして、​そのような​ことが​ありえましょうか。​わたしは​男の​人を​知りませんのに」。​どうして​そんな​奇跡が​起こるのでしょうか。​マリアは​天使に​こう尋ねたが、​それは​彼女の​誠実な​心の​現れである。

​ 聖なる​処女を​見て、​私は​一つの​明らかな​規準を​確認できた。​平安を​保ち、​平和な​生活を​送りたければ、​神に​対して、​霊魂を​導いてくれる​人や​自分​自身に​対して、​徹底的に​誠実でなければならないと​いう​ことである。

 優しい​母親が​子供の​指に​針を​当てて刺さった​棘を​抜く​とき、​愚かな子なら​泣き​喚き、​足を​踏み鳴らす。​賢い子なら、​肉体は​弱いので​目には​涙を​ためながらも、​いっそう​ひどくなるのを​避ける​ために​少々の​痛みにも​耐えて、​感謝の​眼差しで​優しい​母親を​見つめる。

​ イエスよ、​私が​賢い子でありますように。

 子よ、​かわい​そうな​ロバよ、​愛情いっぱいの​主が、​肥やしに​まみれ、​黒く​汚れた​あなたの背を​きれいにし、​まばゆい​ばかりの​宝石で​飾った​繻子(しゅす)の​鞍(くら)を​お付けに​なるが、​その​とき​忘れてはならない​ことがある。​哀れな​ロバよ、​あなたは​この​美しい​荷物を​自分の​過ちで​地面に​投げ出してしまう​ことは​〈できる​〉が、​あなたの力だけで​再びそれを​背に​乗せる​ことは​〈できない​〉のである。

 神との​父子関係に​憩いを​求めなさい。​神は​優しさと​限りない​愛に​溢れた​父、​あなたの父である。

​ 父よ、​と​何度も​お呼びしなさい。​そして、​そっと​申し上げなさい。​「お愛ししております、​本当に​心から​お愛ししております、​あなたの​子と​しての​誇りと​力を​感じています」と。

 喜びとは、​神の​子である​ことを​自覚した​とき​必ず​湧いてくる​もの、​私たちを​受け入れ、​助け、​赦す、​父なる​神に​特別に​愛されている​ことを​自覚すれば、​当然もつことができる​ものである。

​ これを​決して​忘れないように。​たとえすべてが​駄目になったように​思える​ときも、​本当は​何も​駄目になっていないのである。​神が​戦いに​敗れる​ことは​あり得ないの​だから。

 感謝の​心を​神に​表すのに​最も​良い方​法は、​神の​子の​身分を​熱烈に​愛する​ことである。

 あなたは​王子である​ことを​突然知らされた​貧者のような​ものだ。​だから、​この​世で​たった​一つ​関心が​あるのは​父なる​神の​栄光であり、​すべての​栄光を​神に​帰する​ことである。

 幼い友よ、​主に​申し上げなさい。​「イエスよ、​私が​あなたを​愛しており、​あなたが​私を​愛してくださっている​ことが​分かっていますから、​何が​起こっても​心配しません。​すべては​上手く​いくのです」。

 あなたは​「聖母に​たくさんの​ことを​お願いしました」と​言った​後で、​すぐに​言い直した。​「違います。​聖母に​たくさんの​ことを​お話ししたのです」。

 ​「わたしを​強めてくださる​方の​お陰で、​わたしには​すべてが​可能です」。​主と​一緒で​あれば、​失敗する​恐れは​ない。​そして​この​確信から​聖なる​〈優越感〉が​生まれ、​勝利を​得た​人の​気持ちに​なって​事業に​立ち向かっていける。​神が​力を​お与えに​なるからである。

 画家は​キャンバスを​前に​して​自らを​凌駕(りょうが​)せんと​いう​心意気を​もって​叫んだ。​「主よ、​あなたの​ために、​三十八の​心と、​あなたへの​愛を​歌う​三十八の​天使、​天に​三十八の​素晴らしい​縫(ぬ)い​箔(は​く)、​あなたの​マントに​三十八の​太陽、​三十八の​火と​三十八の​愛、​三十八の​狂気と​三十八の​喜びを​描きます」と。

​ そう​言った​後で、​あなたは​謙遜に​認めたのだった。​「これは​すべて​私の​想像と​望みに​過ぎません。​現実には、​満足していただくと​いう​より、​目の​犠牲に​しかならない​三十八の​平凡な​絵図(えず)を​描くに​過ぎません」と。

 ​「天使よ、​私たちに​従いなさい」と​要求する​権利は​ないが、​聖なる天使が​私たちの​願いを​必ず​聞き届けてくれる​ことは​絶対に​確信できる。

 神の​導きに​任せなさい。​神は、​無数の​逆境、​そして​時には​怠惰な​態度さえ​活用して、​あなたを​〈ご自分の​道〉に​導かれる。​あなたの​事業を​実現なさるのは​神である​ことを​お見せに​なる​ためである。

 恐れずに​願いなさい。​福音書が​語る​パンを​増やす​場面を​思い出すのだ。​なんと​寛大に​使徒たちに​報われる​ことか。​いくつの​パンが​あるのか?​ そして​主は、​六つ、​百、​千と、​お与えに​なる。​何故だろうか。

​ なぜなら、​私たちが必要と​する​ことを​神の​英知で​見通し、​その​全能に​よって​私たちの​望み以上の​ことを​実現させる​ことが​おできに​なり、​事実そうしてくださるからである。

​ 主は、​私たちの​貧弱な​考え以上の​ことを​ご覧に​なる。​神は​限りなく​寛大な​御方なのである。

 神の​ために​働くのなら、​私が​教えた​〈優越感〉を​持っていなければならない。

​ 「それは​高慢な​心の​現れではないのですか」と、​あなたは​尋ねる。​絶対に​高慢ではない。​それどころか、​それは​謙遜、​すなわち次のような​告白を​させる​謙遜の​結果である。​主よ、​あなたは​存在その​もの、​私は​無その​ものです。​あなたは​権能、​力、​愛、​栄光、​英知、​支配権、​尊厳など、​すべての​完全性を​備えた​御方です。​あなたに​一致していれば、​父親の​力強い腕の​中や​母親の​優しい​膝(​ひざ)に​抱かれた​子のように、​神の​熱と​英知の​光を​感じ、​神の​力が​私の​血液中を​流れるのが​感じられるでしょう。

 神の​現存を​保つなら、​耳を​つんざくような​嵐が​襲ってきても、​見渡す限り常に​太陽が​輝いている​ことだろう。​そして、​荒れ狂った​破壊的な​波の​下でも、​心は​平安と​落ち着きに​満たされている​ことだろう。

 神の​子に​とっては、​毎日が​自らを​新たに​する​機会である。​すなわち、​恩恵に​支えられて道を​踏破し、​愛なる​御方のもとへ​必ず​到着できるとの​確信を​持って、​日々改心するのである。

​ だから、​始めては、​また​始めると​いう​努力が​ある​限り、​あなたは​良い​歩みを​続けている​ことになる。​勝利を​得ようと​いう​心意気を​持ち、​神の​助けを​得て​戦うなら、​必ず​打ち​勝つだろう。​克服できない​困難などないのである。

 ベツレヘムに​行き、​幼子に​近寄り、​踊ってさし​あげ、​たくさんの​優しい​ことを​申し上げ、​胸に​抱きしめなさい。

​ 子供じみた​ことでなく​愛に​ついて​話している。​ところで、​愛は​行いに​表さなければならない。​あなたは​心の​奥で​幼子を​しっかり​抱きしめる​ことができるのである。

 イエスに​私たちが子供である​ことを​知っていただこう。​子供たち、​それも​幼くて​単純な​子供なら、​階段を​一段​上がるのに​どれほど​苦労する​ことだろう。​階段を​前に​して​時間の​浪費を​しているとしか​見えない。​ やっとの​ことで​一段​上がって、​また次の​段を​目指す。​手足は​勿論(もちろん)の​こと、​全身の​力を​振り絞って、​再び勝利を​得た。​もう​一段​進んだのである。​そして、​また​始める。​大した​努力だ。​しかし、​もう​少しで​昇りきると​いう​所で​つまず​いた。​ああ、​また​転び落ちた。​傷だらけに​なって​涙が​溢れ出るが、​幼子は​やり直す。​再び階段を​昇り​始めるのである。

​ イエスよ、​私たちも​一人だけだと​こうなってしまいます。​無邪気な​子供の​強くて​良き友と​して​優しい​腕で​支えてください。​昇りきるまで​手を​離さないでください。​昇りきった​その​時こそ、​あなたの慈しみ深い愛に​対して​幼子特有の​大胆さで​お応えする​ことができるでしょう。​優しい​主よ、​夢中に​なってあなたを​愛した​人々が​大勢いたとは​言え、​マリアと​ヨセフを​別に​すれば、​私ほどに​あなたを​愛する​人間は​誰一人と​していなかったし、​今後もいない​ことでしょう。

 少々​子供じみた​ことを​しても​構わない、と​あなたに​勧めた。​その種の​行為も​マンネリ化しない​限り、​無益ではない。

​ 一例を​挙げよう。​霊的幼児の​道を​歩む人が、​毎晩、​寝る​時間に​なって、​聖母の​木像に​毛布を​着せたくなるとしよう。

​ 知性の​方は、​そのような​振る​舞いが​明らかに​無益に​思えて、​反抗する。​しかし​恩恵に​触れた​謙虚な​人は、​幼子なら​愛に​動かされてそうするだろうことが​よく​理解できる。

​ だから、​霊的に​幼子である​人なら、​皆が​備えている​男らしい​意志が​奮起(ふんき​)し、​知性を​屈伏させる。​そして、​その​幼子のような​人が​毎日、​聖母の​ご像に​毛布を​かけ続けるなら、​その​ちょっとした​子供っぽさに​よって、​神の​目には​実に​実り​多い​行いを​日毎に​繰り返すことに​なるのである。

 本当に​子供と​なり、​幼子の​道を​歩むなら​ ― もちろん主が​この​道へと​導かれたらの​話だが​ ― ​その​ときあなたは​無敵と​なるだろう。

 信頼しきった​幼子は、​「主よ、​あなたを​最も​お喜ばせした​人たちと​同じ​痛悔の​心を​お恵みください」とお願いした。

 幼子よ、​万一、​神と​あなたとの​間に​誰か、​あるいは​何かが​割り込んで​来た​とき、​あなたは​幼子で​なくなる。

 私は​イエスに​何も​願うべきではない。​幼子が​父親に​対してするように、​すべてに​おいて​主を​お喜ばせする​ことと、​主が​何も​ご存じないかのように​自分の​ことを​色々​お話しする​ことだけに​しておこう。

 幼子よ、​イエスに​申し上げなさい。​あなた​以外には​決して​満足いたしません、と。

 霊的幼児の​祈りで、​これ以上​子供っぽい​ことを​主に​申し上げる​ことができるだろうか。​幼子が​偉大な​友に​愛されている​ことを​確信し、​信頼を​込めて​話すように、​あなたは​「あなたに​栄光を​帰する​ことだけを​目的と​して​生きる​ことができますように」とお話ししたのだった。

​ あなたは​何を​しても​上手く​できない​ことを​思い出し、​それを​正直に​認める。​そして​付け加えた。​「イエスよ、​驚かないでしょう。​何かを​まともに​やり遂げる​なんて、​私には​できない​相談なのです。​あなたが​手を​貸して、​私の​代わりになさってください。​そう​すれば、​万事が​上手く​いきます」。

​ さらに、​あなたは​大胆に​話を​続けたが、​真理から​外れてはいなかった。​「どうか​私を​あなたの霊で​満たし、​酔わせてください。​そう​すれば、​私も​あなたのみ​旨を​果たすことができるでしょう。​み旨を​果た​したいのです。​私が​み旨を​果さないと​すれば、​それは、​あなたの​助けが​ないからです。​しかし、​私は​あなたが​必ず助けてくださると​信じています」。

 あなたが​幼くて​何も​持たず、​弱々しい​人間である​ことを​直ぐに​認める​必要が​ある。​そう​感じる​ことができれば、​子と​しての​心の​中に​ある​射祷や​愛の​こもった​眼差しや​マリア信心を​実行する​ことに​よって、​天の​御母の​膝に​身を​投げ出すことができるだろう。

​ 聖母は​あなたを​守ってくださる​ことだろう。

 何が​起こっても​自分の​道に​堅忍しなさい。​主が​すべての​障害を​一掃してくださるから、​喜びに​満ちた​楽天的な心で​堅忍するのだ。

​ しっかり​聞きなさい。​戦いさえすれば、​あなたは​聖人に​なれる。​私は​そう​確信している。

 主が​お呼びに​なった​とき、​最初の​弟子たちは​古びた​舟の​傍らで、​破れた​網を​繕っていた。​主は​彼らに、​従えと​仰せに​なる。​すると​彼らは​〈すぐに​〉、​〈すべてを​捨てて〉、​何もかも​すべてを​捨てて、​主に​ついて​行った。

​ 私たちは​使徒たちの​真似を​したいと​思っているが、​すべてを​捨て​去る​ことが​時々できない。​執着心を​捨て​切れず、​生き方にも​間違いが​あるのに、​主への​捧げものとして​それらを​捨てる​気が​ないのである。

​ あなたの心を​徹底的に​糾明しているだろうか。​心の​中に​神以外の​ものを​残しておくのは​良くない。​そんな​状態なら、​あなたも​私もちゃんと​主を​愛している​ことにならない。

 聖性と​使徒職への​望みを​誠実に、​絶えず主に​申し上げなさい。​そう​すれば​哀れな器、​すなわち、​あなたの​霊魂は​壊れないだろう。​万一壊れても、​新たに​恩恵を​受けて​直ぐに​元に​戻り、​あなた​自身の​聖性と​使徒職の​ために​続けて​役に​立つだろう。

 あなたの​祈りは​神の​子の​祈りでなければならない。​偽善者の​祈りを​すれば、​「わたしに​向かって​『主よ、​主よ』と​言う​者が​皆、​天の​国に​入るわけではない」と​いう​イエスの​言葉を​聞かなければならないだろう。

​ あなたの​祈り、​つまり​〈主よ、​主よ〉と​いう​叫びは、​毎日​いろいろな​形で、​神のみ​旨を​果た​すための​実際的な​望みと​努力に​結びついていなければならない。

 幼子よ、​「悪魔が​人々を​奪ってしまうような​ことが​決してありませんように」と、​イエスに​申し上げなさい。

 神の​愛が​あなたを​選び、​従えとお呼びに​なったのなら、​あなたには​その​呼びかけに​応える​義務だけでなく、​兄弟である​人々の​聖性と​確かな​歩みを​導き、​それに​貢献すると​いう、​より​厳しい​義務も​ある。

 歩みが​きつく、​辛くなっても、​元気を​失わないようにしなさい。​キリスト者と​しての​あなたの​約束を​忠実に​守るか​否かは、​おおよそあなた​次第であると​知って​嬉しくならないのだろうか。

​ 喜びに​満たされ、​自由に​決意を​新たに​しなさい。​主よ、​私も​望んでいます、​腰抜けでは​ありますが​私を​頼りになさってください。

 神は、​生活の​場や​世間、​身分、​人間的に​高貴な​野心、​専門職から、​あなたを​引き離したりなさらない。​神の​お望みは、​あなたが​そのような​ところで​聖人に​なる​ことである。

 額を​床に​つけ、​神のみ​前に​身を​置いて、​自分が​箒(ほうき)で​掃きためた​ゴミの​山よりも​汚く​卑しむべき者である​ことを、​(事実​その​通りなの​だから)​よく​考えなさい。

​ それにも​かかわらず、​主は​あなたを​お選びに​なったのである。

 あなたは​いつに​なったら​決心するのだろうか。​周囲の​大勢の​人は、​単に​人間的な​ことの​ために​たくさんの​犠牲を​払いながら​生きている。​自分が​神の​子である​ことを​思い出さず、​おそらくは​高慢心から、​抜きん出たい、​もっと​楽な​将来を​手に​入れたいと​考え、​すべてを​捨てて​努力している。

​ ところであなたは、​教会や​自分の​家族、​同僚や​友人と​いった​甘美な重荷、​つまり身を​挺して​働くに​値する​動機が​あるのに、​一体​何を​しているのか。​本当に​責任を​持って働く​つもりが​あるのだろうか。

 主よ、​他に​大勢の​聖人や​知恵者、​金持ち、​有名人が​いるのに、​なぜ​私のような​無に​過ぎない​者を​お探しに​なったのですか。

​ あなたの​言う​通りだ。​そして​そうだから​こそ、​行いと​愛で​神に​感謝しなければならないのである。

 イエスよ、​あの​博士たちは​星に​従いました。​それと​同じように、​あなたの​教会の​すべての​人が、​頻繁に​耳に​する​勧めであっても​ヘロデの​勧めを​無視し、​キリスト者と​しての​召し出しに​従って、​自らの​道に​最後まで​堅忍しますように。

 贖いの​実りを​人々の​中で、​もっと​もっと、​もっと​豊かに、​神的と​言える​ほど​豊かに​成長させてくださる​よう、​イエスに​お願いしよう。

​ そして​これを​実現させる​ため、​私たちを​聖母の​良い​子に​してくださる​よう祈ろう。

 幸せに​なる​ための​秘訣が​知りたいのか。​人々の​ため身を​捧げて​仕え、​しかも​感謝を​期待しない​ことである。

 神を​見つつ、​愛し仕えると​いう​動機から、​司祭でなくても​司祭の​心で​行動する、​すなわち生き、​そして​働くなら、​あなたの​行い​すべてが​本当に​超自然的な​意義を​持つようになり、​生活全体が​すべての​恩恵の​源に​一致し続ける​ことだろう。

 ​私たちを​待ち望んでいる​無数の​人々と、​かくも​美しく​大変な​責任とを​前に​して、​時々​私が​考える​ことを​あなたも​考えるかもしれない。​「私に、​こんな​大変な​仕事を?」、​「こんな​ちっぽけな​私に、​このような​ことを?」

 ​そんな​時には​福音書を​開いて、​イエスが​どのように​して​生まれつきの​盲人を​癒されたかを​黙想しなければならない。​主は​土と​唾を​混ぜて​作った​泥を​お使いに​なった。​それが​見えない​目に​光を​与える​目薬だったのである。

​ この​泥こそ、​あなたと​私である。​自らの​弱さと​無力を​認め、​神の​恩恵と​私たちの​良い​意志が​あれば、​人々と​自らを​照ら​すための、​そして​力を​与える​ための​目薬に​なれるのである。

 使徒の​魂を​もつ​人が​主に​申し上げた。​イエスよ、​あなたは​何を​してくださる​べきか​ご存じでしょう。​私は​自分の​ために​働いているのでは​ありません。

 〈個人的な​堅忍を​もって​〉、​つまり​あなた​自身が​堅忍して​辛抱強く​祈りを​続ければ、​効果的な​働きを​し、​世界中に​主の​王国を​広げる​ために​必要な​手段は、​神が​お与えに​なるだろう。

​ しかし、​あなたは​忠実を​保たなければならない。​忠実を​保つことができるよう必死に​なって​祈り、​願いなさい。​そのように​努力しているだろうか。

 主は、​地上の​すべての​真っ当な​道々に​神の​子が​居て、​理解と​赦しと​和合、​愛と​平和の​種蒔きを​するよう、​お望みである。

​ あなたは、​何を​する​つもりなのか?

 贖いは、​今この​瞬間にも​続いている。​あなたは​贖いの​協力者である。​また​実際に​そうでなければならない。

 この​世で​キリスト者である​こと、​それは​孤立する​ことではない。​その​反対だ。​すなわち、​すべての​人を​愛し、​すべての​人に​神愛の​火を​つけてあげようと​望むことなのである。

 聖なる​婦人よ、​神の​御母、​私の​母よ、​たとえわずかの​間も、​全被​造界の​女王で​あり女帝である​ことを​止めないでください。

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