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実を​つけない​無花果

ベタニアから​お帰りに​なった​イエスが​空腹であったと記すのも​聖マタイです24。​イエスの​姿を​見ると​いつも​心を​動かされますが、​真の​神で​ありながら真の​人性を​有する方の​人間性が​表に​現れる​とき、​特に​心を​揺り​動かされる​思いが​します。​そのような​時の​イエスは、​私たちの​生まれつきの​弱さや​惨めさに​至るまですべてを、​そっくり​そのまま、​燔祭を​喜んでくださる​神に​捧げなさいと​教えてくださるからです。

​ ​空腹を​お感じに​なりました。​それも​全宇宙の​創造主、​天地万物の​主である​御方が。​主よ、​神の​霊感を​受けた​福音史家が​あなたの​この​一面を​書き残してくれた​ことを​感謝しています。​今後、​一層あなたを​お愛ししなければならないと​痛感させ、​あなたの​至聖なる​人性、​私たちと​同じ​生身の​人、​「完全な​人であり、​真の​神である方」​25を、​鮮明に​目に​浮かべながら​黙想したいと​いう​強い​望みを​抱かせてくれるからです。

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