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このような​人間的な​表情の​一つ​ひとつが​神の​表情でもあります。​「キリストの​内には、​満ちあ​ふれる​神性が、​余す​ところなく、​見える​形を​とって​宿って」26いる。​ キリストは​人となられた​神です。​完全な​人であり、​人その​ものなのです。​人間と​しての​ご生活を​通して、​ご自分が​神である​ことを​示してくださるのです。

​ 人々への​奉仕の​ために、​生涯を​捧げられた​キリストの​思いやりを​黙想する​方が、​私たちのとるべき​動作や​行動を​あれこれ​述べるよりも​ずっと​役に​立ちます。​私たちは​イエスの​中に​神を​発見していくのです。​キリストのみ​業には​すべてに​勝る​超越的な​価値が​あります。​キリストは、​神が​どのような​御方であるかを​教えてくださり、​人間を​創り、​神の​深奥の​生命に​あずからせようとお望みに​なる​神の​愛を​信じるように​誘い​かけておられるからです。​「世から​選び出して​わたしに​与えてくださった​人々に、​わたしは​御名を​現しました。​彼らは​あなたの​ものでしたが、​あなたは​わたしに​与えてくださいました。​彼らは、​御言葉を​守りました。​わたしに​与えてくださった​ものは​みな、​あなたからの​ものである​ことを、今、​彼らは​知っています」27。​福音史家ヨハネが​伝えている​長い​祈りの​中で、​イエスは​こう​叫ばれました。

​ それゆえ、​イエスの​人々に​対する​関係は、​口先や​上辺だけの​態度に​終わる​ものでは​ありませんでした。​イエスは​人間の​ことを​真剣に​考え、​人の​生活の​神的意味を​お示しに​なりたいのです。​いとも​聖なる​神を​知るよう導く​ために、​イエスは​ご自分に​耳を​傾ける​人を​安易な​生活や​妥協から​引き離して、​厳しく​急き立て、​彼らに​自分の​義務を​果たすよう​要求されるのです。​イエスは​空腹や​苦痛に​心を​動かされましたが、​特に​無知に​同情なさいました。​「イエスは​舟から​上がり、​大勢の​群衆を​見て、​飼い​主の​いない​羊のような​有様を​深く​憐れみ、​いろいろと​教え​始められた」28。

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