111

人間の​作り出す個人的・​社会的不正を​前に​して、​もともと​キリスト的な​心を​持っている​人29の​感じる、​我慢できないも​どかしさや​苦悩、​焦燥感は​よく​理解できます。​何世紀にもわたる​人類の​共存生活にも​拘わらず、​目が​あるのに​見ない​人、​心が​あっても​愛さない​人々は、​まだまだ​憎悪や​破壊、​狂気の​沙汰を​やめようとしない​状態に​あります。

​ この​世の​富は​少数の​人々の​間で​分配され、​文化財も​一部の​人が​握っています。​そして​それ以外の​ところには、​食べ物と​知識への​飢えが​あるばかりです。​人間の​生活は​神から​出た​もので​聖なるはずですが、​実際には、​統計表の​項目とか​その​数字と​してしか​扱われていないのです。​このような​現状を​眺めると、​先に​述べたも​どかしさが​わかり、​それに​共感を​覚えます。​すると、​これが​動機と​なって、​〈新しい​愛の​掟〉を​実行するよう絶えず​私たちに​誘い​かけておられる​キリストの​方に​視線を​向けるようになるのです。

​ 日常生活の​いろいろな​出来事から、​神の​意向を​悟る​ことができますが、​同時に​人々を​愛し人々の​ために​献身しなければならない​ことも​理解できます。​「人の​子は、​栄光に​輝いて天使たちを​皆従えて​来る​とき、​その​栄光の​座に​着く。​そして、​すべての​国の​民が​その前に​集められると、​羊飼いが​羊と​山羊を​分けるように、​彼らを​より​分け、​羊を​右に、​山羊を​左に​置く。​そこで、​王は​右側に​いる​人たちに​言う。​『さあ、​わたしの​父に​祝福された​人たち、​天地創造の​時から​お前たちの​ために​用意されている​国を​受け継ぎなさい。​お前たちは、​わたしが​飢えていた​ときに​食べさせ、の​どが​渇いていた​ときに​飲ませ、​旅を​していた​ときに​宿を​貸し、​裸の​ときに​着せ、​病気の​ときに​見舞い、​牢に​いた​ときに​訪ねてくれたからだ』。​すると、​正しい​人たちが王に​答える。​『主よ、​いつわた​したちは、​飢えておられるのを​見て​食べ物を​差し上げ、のどが​渇いておられるのを​見て​飲み物を​差し上げたでしょうか。​いつ、​旅を​しておられるのを​見てお宿を​貸し、​裸で​おられるのを​見てお着せしたでしょうか。​いつ、​病気を​なさったり、​牢に​おられたりするのを​見て、​お訪ねしたでしょうか』。​そこで、​王は​答える。​『は​っきり​言っておく。​わたしの​兄弟である​この​最も​小さい​者の​一人に​したのは、​わたしに​してくれた​ことなのである』」30。

​ 兄弟である​人々を​見て、​私たちとの​出会いを​求めて​来られる​キリストに​気づかなければなりません。​誰の​生活であっても、​決して​孤立した​ものではなく、​周囲の​人々の​生活と​密接に​結びついています。​どんな​人もばらばらに​分かれた​一行の​詩ではなく、​皆が​〈神の​詩〉の​一部を​構成しています。​私たちの​自由意志に​基づいた​協力を​得て、​神は​それを​書き上げて​行かれるのです。

この点を別の言語で