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最後に、​私たち信者が​〈キリスト自身〉と​なって​人々の​中に​キリストを​現存させるならば、​愛徳を​実行するだけでなく、​神の​愛を​伝え​広め、​その愛を​通して​キリストの​人間的な​愛情を​も伝えると​いう​事実に​ついて​考えてみたいと​思います。

​ 自らの​生涯は​神の​愛を​表すためであると​イエスは​考えておられましたが、​それは、​弟子の​一人に​「フィリポ、​こんなに​長い間​一緒に​いるのに、​わたしが​分かっていないのか。​わたしを​見た者は、​父を​見たのだ」​35と​いう​お答えに​もうかが​われます。​この​教えに​従って、​使徒聖ヨハネは​キリスト信者に、​すでに​神の​愛を​知ったからには​行いを​もって​その​愛を​示すべきであると​勧めています。​「愛する​者たち、​互いに​愛し合いましょう。​愛は​神から​出る​もので、​愛する​者は​皆、​神から​生まれ、​神を​知っているからです。​愛する​ことの​ない​者は​神を​知りません。​神は​愛だからです。​神は、​独り子を​世に​お遣わしに​なりました。​その方に​よって、​わたしたちが​生きるようになる​ためです。​ここに、​神の​愛が​わたしたちの​内に​示されました。​わたしたちが神を​愛したのではなく、​神が​わたしたちを​愛して、​わたしたちの​罪を​償ういけに​えと​して、​御子を​お遣わしに​なりました。​ここに​愛が​あります。​愛する​者たち、​神が​このように​わたしたちを​愛されたのですから、​わたしたちも​互いに​愛し合うべきです」36。

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