116

​私たちの​信仰は、​神を​信じ、​神と​絶えず​対話を​保つよう、​生き​生きと​していなければなりません。​キリスト信者の​生活は、​四六時中、​神の​現存を​保つ​絶え​ざる​祈りの​生活であるべきです。​キリスト信者は​決して​孤独では​ありません。​天に​おられ、​私たちと​共に​おられる​神との​絶え間ない​交わりの​中に​生きているからです。

​ 使徒聖パウロは、​「絶えず​祈りなさい」37と​命じています。​この​使徒の​戒めを​思い​起こして、​アレクサンドリアの​クレメンスは、​次のように​述べています。​「他の​人々のように​特定の​日だけではなく、​一生の​間、​絶えず​あらゆる​方​法を​用いて、​み言葉を​救い​主と​して​王と​して​認め、​さらに​み言葉を​通して​御父を​賛美し、​礼拝するよう​命じられている」38。

​ 一日の​仕事の​間、​わが​ままな​傾きに​克つ瞬間、​友情の​喜びを​感じる​とき、​このような​時には、​キリスト信者は​いつも​神と​出会う​ことでしょう。​キリストを​通して​聖霊に​おいて、​キリスト信者は​父である​神との​親しい​交わりに​近づき、​神の​王国を​求めて​道を​歩み続けるのです。​その​王国は​この​世の​ものでは​ありませんが、​この​世に​始まり、​この​世で​準備されるのです。

​ 言葉と​パンに​おいて、​聖体と​祈りに​おいて、​キリストと​交わらなければなりません。​私たちの​傍に​本当に​生きている​友と​して、​キリストと​交わるのです。​それは​キリストが​復活な​さったからです。​ヘブライ人への​手紙にも​ある​通り、​キリストは​「永遠に​生きているので、​変わる​ことの​ない​祭司職を​持っておられるのです。​それで​また、​この方は​常に​生きていて、​人々の​ために​執り成しておられるので、​御自分を​通して​神に​近づく​人たちを、​完全に​救うことが​おできに​なります」39。

​ キリスト、​復活された​キリストは​同僚で​あり友です。​陰の​間に​しか​見えない友ですが、​その​実在に​よって​私たちの​全生活は​充実し、​来世に​至るまで​友であって​ほしいと​思う、​そのような​友なのです。​「“霊”と​花嫁とが​言う。​『来てください』。​これを​聞く​者も​言うが​よい、​『来てください』と。​渇いている​者は​来るが​よい。​命の​水が​欲しい​者は、​価なしに​飲むが​よい。​すべてを​証しする​方が、​言われる。​『然り、​わたしは​すぐに​来る』。​アーメン、​主イエスよ、​来てください」40。

この点を別の言語で