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本当の​愛は​忠実で​正しい​夫婦愛に​基づいています。​聖トマス・アクィナスが​語っているように​8、​神は​人間の​いろいろな​機能に​快楽や​喜びを​合わされました。​けれども、​人間が​物事の​秩序を​乱し、​婚姻の​善や​目的を​忘れて、​快楽や​喜びのみを​探し求めると、​罪の​機会を​作ってしまいます。

​ 貞潔は、​単なる​抑制ではなく​愛する​者同士の​積極的な​態度であり、​若々しい​愛を​保つための​徳なのです。​思春期あるいは​婚約時代、​結婚​生活を​送る​人々、​神の​招きに​応えて​独身生活を​送る​人々、​それぞれが​自己の​生活に​合った​貞潔を​実行しなければなりません。

​ サラと​結婚する​前に、​大天使ガブリエルが​トビアに​言った​強い​勧告の​言葉を​覚えていますか。​「天使は​彼に​言った、​『聞け、​私が​悪魔に​勝つことを​示そう。​結婚の​とき​自分たちの​心から​神を​追い出し、​心なき馬か​ラバのように​本能に​溺れる​人々に​対しては、​悪魔は​強い』」9。

​ 性の​神秘を​尊重し、​自己の​欲望を​抑えて​貞潔を​守る​ことがなければ、​結婚​生活には、​純粋で​誠実な​喜びに​満ちた​人間愛など​あるはずは​ありません。​私は​不貞に​ついて​語った​ことは​ないし、​具体的な​行為にまで​立ち入って​話す​ことを​いつも​避けてきました。​そんな​ことは​病的で​無意味だからです。​逆に、​貞潔・純潔・愛の​喜びなどに​ついては​何回も​話したことが​あり、​また​話さなければならないと​思っています。

​ 結婚​生活に​おける​貞潔に​関しては、​お互いの​愛情を​表す​ことを​恐れてはならないと​申し上げましょう。​それが​家族生活の​基盤であるからです。​お互いに、​真心や​尊敬を、​日常茶飯事の​中で​慎み深く、​素直に​表すことを​主は​お望みに​なっておられるのです。

​ 夫婦関係は、​真の​愛の​証しと​しての​子どもを​持つことを​肯定する​ときのみ、​尊重すべきものとなります。​生命の​源泉を​絶つ​ことは​神が​人類に​与えられた​恩恵に​反する罪であり、​エゴイズムの​現れであり、​愛に​欠けている​証拠です。​生命の​源を​絶つと、​すべてが​乱れ、​二人は​互いに​共犯者であるかのように​考えます。​そして​このような​状態が​続くと​ほとんど​取り返しの​つかない​争いが​起こる​ものです。

​ 愛情を​もって​貞潔を​守ると、​夫婦生活は​真正な​行動の​表れと​なります。​そして​夫と​妻は​理解し合い​一致できます。​ところが、​神の​賜物で​ある​性が​乱されると、​親密さは​失われ、​二人は​もは​や​正面から​顔を​合わせる​ことも​できなくなります。

​ 夫婦は、​誠実な​愛と​子どもを​産み育てる​喜びとを​基礎に​した​共同生活を​築かなければなりません。​また​個人的な​安楽を​も放棄する​覚悟と、​神のみ​摂理への​絶対的な​信頼が​必要です。​たとえ享楽主義者が​そうではないと​主張しても、​子どもの​多い​家庭は​本当の​幸せを​保証されているからです。

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