87

ミサと​信者の​生活

 ミサに​おいて、​聖三位一体​ご自身が​教会に​与えられますから、​ごミサに​よって​私たちは​信仰の​主要な​秘義に​導かれる​ことになります。​こうして、​ごミサは​カトリック信者の​霊的生活の​中心で​あり根源である​ことが​よく​わかります。​ごミサは​すべての​秘跡が​目指す秘跡です18。​洗礼に​おいて​与えられ、​堅信に​よって​強められ成長した​恩恵の​生活は、​ごミサに​よって​絶頂に​達するのです。​「ご聖体に​あずかる​ことに​よって、​聖霊が​私たちを​神化してくださっていると​感じます。​ごミサに​おいて​聖霊は、​洗礼の​時のように​ただ単に​キリストに​同化させるだけでなく、​私たちを​キリストに​結びつけ、​完全に​キリスト化させてくださるのです」​19と、​エルサレムの​キリルスは​述べています。

​ 聖霊を​注がれ、​キリスト化された​私たちは、​自分が​神の​子である​ことを​自覚するのです。​愛その​ものである​聖霊は、​私たちが愛に​基づいて​生活全体を​築きあげるようにと​教えてくださいます。​そして、​キリストと​「完全に​一つに」20なれば、​聖アウグスチヌスが​聖体に​ついて​述べているように、​私たちは​「一致の​印、​愛の​きずな」21に​なることができるのです。

​ ある​信者に​とって​ごミサは、​社会の​因襲とまでは​言わなくても、​単なる​外面的な​儀式に​過ぎず、​また​ある​人は​ごミサに​ついて​極めて​貧弱な​考えしか​持っていない、と​私が​述べても、​別に​変わった​ことを​言っている​ことには​ならないでしょう。​私たちの​心は​全く​哀れな​もので、​神が​お与えに​なった​最も​偉大な​賜物に​さえも​慣れてしまうのです。​ごミサ、​今捧げる​この​ごミサには、​繰り返して​申し上げますが、​聖なる​三位一体の​神が​特に​介入なさいます。​この​深い愛に​応える​ために、​心身共に、​すべてを​捧げる​必要が​あります。​神に​耳を​傾け、​神に​話しかけ、​神を​見、​神を​味わうのです。​そして​言葉に​言い​尽くせない​ときには、​元気を​出し、​全人​類に​向かって​主の​偉大さを​称え、​「口よ、​うたえ、​光栄ある​聖体を」と​歌うのです。

聖書への参照
この点を別の言語で