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哀れな現世においては、苦しみの杯の最後の一滴まで飲み干そう。たとえ十年、二十年、五十年…苦しむにしても、その後、いつまでも、いつまでも…、永久に続く天国に行けるのなら大した事ではない。
特に、〈報酬を得るため〉というよりも、もっと純粋な理由で、すなわち償いの心で十字架上のキリストとひとつになって、主なる神に慰めと喜びを差し上げるために苦しむのなら、一言でいうと、愛である方のために苦しむのなら…、かまわないではないか。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/camino/182/ (2025/07/13)