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聖ヨハネは、​カナの​婚宴に​おける​聖母の​素晴らしい​言葉を​書き留めています。​マリアは、​「この​人が​何か​言いつけたら、​そのとおりに​してください」26と​召し​使いたちに​言ったのです。​これこそ​私たちの​義務です。​人々を​イエスのもと​へ​連れて​行き、​人々が​自ら​「主よ、​あなたは​どなたですか」​27、​わたしが​何を​するよう​お望みですかと​問い​かけるよう、​導かなければならないのです。

​ 同僚の​中の​一人と​して​生活する​普通の​キリスト信者、​その​信者の​使徒職は​素晴らしい​カテケージスであると​言えます。​誠実で​真摯な​友情と​交際を​通して、​神を​渇望するよう​目覚めさせ、​新しい​視野を​示すのです。​前にも​触れたように、​自然に、​地味に、​行いを​伴った​信仰の​模範と、​優しいが​神の​真理に​基づく​力強い​言葉に​よって​助けなければならないのです。

​ 勇敢でなければなりません。​使徒の​元后である​聖母マリアの​助けを​信じましょう。​マリアは​母と​しての​配慮を​続けながらも、​子である​私たちが​自らの​責任を​全う​するよう​要求し導いてくださいます。​聖母に​近づき、​聖母の​生涯を​黙想する​人々は、​十字架のもとに​導かれ、​神の​御子の​模範を​直視できるのです。​そして、​キリスト信者の​名に​恥じない​生き方を​する​決心を​立てる​とき、​聖母の​執り成しを​受けて、​キリストの​弟であり妹である​私たちが、​神の​長子・キリストと​和解する​ことができるのです。

​ マリアとの​出会いに​より、​多くの​人が​心を​改め、​神に​仕える​決心を​しました。​聖母は、​神を​求める​人々の​望みを​育て、​騒ぐ​心を​さらに​騒が​せて​新しい​道・​新たな​生き方​へと​導いたのです。​「この​人の​言いつけた​とおりに​してください」と​いう​言葉は、​このように​して、​愛すべき奉献と​信者と​しての​召し出しを​生みだし、​私たちの​生活を​照らす光を​与える​ことになったのです。

​ 神の​母であり​私たちの​母である​マリアヘの​信心と​愛に​ついて、​神の​前で​黙想を​続け、​私たちの​信仰が​活気を​帯びてきた​ところで、​そろそろ​終わりにしなければなりません。​いよいよ五月に​入ります。​神の​御母との​交わりを​深める​ことに​よって、​神の​愛に​成長する​ことのできる​この機会を​逃さないようにと主は​お望みです。​日々、​聖母の​子に​相応しく、​心の​こもった​優しい​心遣いを​示したい​ものです。​たとえ小さな​思い遣りであっても、​自らの​聖性と​使徒職、​つまり​キリストが​この​世に​お与えに​なった​救いの​業に​貢献しようと​いう​大きな​望みに​成長していく​ことでしょう。

​ 「聖マリア、​私たちの​希望、​主の​は​しため、​上智の​座、​私たちの​ために​お祈りください」。

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