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東洋の​星・聖マリア

 ​「家に​入ってみると、​幼子は​母マリアと​共に​おられた」。​福音書の​この​一節を​もう​一度​読んで​今日の​話を​終わりたいと​思います。​聖母は​御子から​離れたりなさいません。​博士たちを​迎えたのは、​玉座に​座する​王ではなく、​母の​腕に​抱かれた​一人の​幼子でした。​私たちの​母でも​ある​神の​御母に、​完全な​愛に​至る​道を​用意してくださいと​願いましょう。​いとも​甘美なる​聖母の​御心、​安全な​道を​備え給え。​聖母の​甘美なる​御心は​キリストに​出会う​ための​最も​確かな​道を​知っておられます。

​ 博士たちには​星が​ありましたが、​私たちには、​海の​星・​東洋の​星なる​聖母マリアが​ついていてくださいます。​聖母に​申し上げましょう。​「海の​星・暁の​星なる​聖マリア、​御身の​子らを​お助けください」。​人々を​愛する​心に​限界を​設けるべきでは​ありません。​キリストヘの​愛から​除外されている​人は​いないのです。​博士たちは​異邦人の​初穂でありました。​しかし​救いのみ​業が​成し遂げられてから、​同国人も​異邦人もなくなりました。​「もはや、​ユダヤ人も​ギリシア人もなく、​奴隷も​自由な​身分の​者もなく、​男も​女も​ありません。​あなたがたは​皆、​キリスト・イエスに​おいて​一つ​だからです」34。

​ キリスト信者が​排他的であったり、​人を​差別したりする​ことは​できません。​「東や​西から​大勢の​人が​来」35るは​ずだからです。​キリストのみ​心には​誰もが​入れます。​もう​一度、​飼い​葉桶の​中の​主に​視線を​向けましょう。​主の​腕は​子どもの腕ですが、​全人​類を​引き寄せる​ために​36、​十字架上で​広げられる​腕と​全く​同じ​腕なのです。

​ 最後に、​私たちの​父であり師である​義人ヨセフに​ついて​考えてみましょう。​ヨセフは、​ご公現の​場面でも、​他の​時と​同じように​人目に​つきません。​人と​なった​神の​御子の​世話を​委ねられ、​愛を​込めて​御子を​保護する​聖ヨセフが​祈りに​ふけっているのを、​私は​心に​思い巡らせています。​聖なる​太祖ヨセフは​自分の​ことを​考えず、​徹底した​細やかさを​もって​黙々と、​しかも​効果的な​奉仕に​自らを​捧げたのです。

​ 今日は​祈りの​生活と​使徒職への​熱意に​ついて​お話ししました。​聖ヨセフより​優れた​師が​他に​あるでしょうか。​もし助言を​お望みならば、​何年も​前から​飽きる​ことなく​繰り返して​来たように、​「ヨセフのもとに​行」37きなさいと​申し上げましょう。​イエスに​近づく​ためのは​っきりと​した​道や​人間的・​超​自然的方​法は、​聖ヨセフが​教えてくださるでしょう。​そう​すれば、​私たちの​間に​お生まれに​なった​幼子を、​聖ヨセフが​なさったように​「腕に​抱き、​接吻し、​服を​着せ、​お世話する」​38ことが​すぐに​できるでしょう。​博士たちは​礼拝の​しるしと​して、​黄金・乳香・没薬を​イエスに​捧げましたが、​聖ヨセフは、​愛に​燃える​若々しい​心を​惜しげもなく​お捧げに​なったのです。

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