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「実に、​神のみ​心は、​あなたが​たが​聖なる​者と​なる​ことです。​すなわち、​みだらな​行いを​避け、​おの​おの​汚れの​ない​心と​尊敬の​念を​もって​妻と​生活するように​学ばねばならず、​神を​知らない​異邦人のように​情欲に​おぼれてはならない」12。​霊魂と​身体、​肉と​骨、​感覚と​能力とも​ども、​私たちは​神の​ものです。​信頼し切って​頼みなさい。​「イエス、​私たちの​心を​お守りください。​大きくて​強い心、​若々しく​優しく​繊細な​心で、​あなたと​すべての​人への​愛を​保つことができますように」。

​ 私たちの​体は​聖なる​もの、​聖パウロの​言葉を​借りれば、​「神の​神殿」です。​私は​使徒の​この​叫びを​聞く​とき、​主が​すべての​人に​向けてなさった​聖性への​普遍的な​呼びかけを​思い​起こします。​「天の​父が​完全で​あられるように、​あなたが​たも​完全な​者と​なりなさい」13。​例外なく​すべての​人に、​恩寵には​応えるべきであると、​主は​仰せに​なっています。​自分の​生活条件に​応じて​神の​子に​固有な​徳を​実行せよと、​一人​ひとりに​言っておられるのです。

​ ですから、​キリスト者は​完全に​貞潔を​守らねばならないと​私が​言う​とき、​完全な​禁欲を​実行しなければならない​独身者、​婚姻の​義務を​果た​しつつも​貞潔を​守るべき既婚者を​含め、​例外なしに​すべての​人々の​ことを​考えています。

​ 聖霊の​助けが​あれば、​貞潔は​わずらわしい​ものでも​恥ずかしい​重荷でもなくなります。​貞潔こそ​喜びに​満ちた​積極的な​徳なのです。​それは​愛であり克己で​あり勝利であって、​肉からの​ものでも​本能からの​ものでもない。​何よりも​貞潔を​守ると​いう​決意が​あってこそ​実行できる徳です。​本当に​貞潔である​ためには、​単なる​自制や​慎みではなく、​欲情を​理性に​服従させる​必要が​ある。​しかも、​高い​動機、​つまり、​神への​愛ゆえに​そうする​必要が​あるのです。

​ この​徳は​翼に​喩える​ことができます。​この​翼の​おかげで、​私たちは​世界中いたる​所へ、​泥まみれに​なるのを​恐れずに、​神の​掟と​教えを​伝えに​行く​ことができる。​翼自体かなりの​重荷には​違いないが、​雲さえ​届かない​高みにまで​飛翔する​雄々しい​鳥も、​翼なしに​飛ぶことは​できません。​この​ことを​しっかりと​心に​刻みつけておいてください。​貞潔はとうてい担い​切れない​重荷であると​思わせるような、​誘惑の​魔手に​捕まらないように​したい​ものです。​さあ、​頑張って、​太陽を、​神の​愛を、​目指して​飛び発ちましょう。

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