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ある​人々は​貞潔に​ついて​聞くと​薄笑いを​浮かべる。​ひねくれた​考えしかもたない​人の、​喜びの​ない​しかめ面の笑いです。​大多数の​人間は​貞潔を​信じていない、と​彼らは​繰り返す。​何年も​前に​なりますが、​一緒に​マドリード郊外の​貧民街と​病院を​回っていた​青年たちに​よく​話して​聞かせた​ものです。​この​世には、​まず無生物の​世界が​存在する、​次に、​存在するだけでなく、​生命を​与えられたが​ゆえに​無生物の​世界よりは​遥かに​完全な​植物の​世界、​さらに、​たいていは​感覚と​運動能力を​備えた​存在からなる​動物の​世界が​あると。

​ それから、​あまり​学問的とは​言えませんが、​分かりやすい​表現を​使って、​次のような​説明を​加えました。​ところで​私たちは、​もう​一つ​別の​世界、​人間の​王国を​打ち立てなければならない。​理性を​もった​被造物である​人間は、​見事な​知性と​神の​知恵の​閃きを​備えているので、​自由に​ものを​考える​ことができるから。​そして、​この​素晴らしい​自由が​あればこそ、​私たちは​好きなように、​ある​ものを​受け入れ、​ある​ものを​捨てる​ことができるのだと。

​ 私は​司祭と​しての​山ほどの​経験に​照らして​話しました。​この​王国の​住人の​うち正常な​人に​とっては、​性の​問題は​四番目か五番目にくるはずである。​第一に​一人​ひとりの​霊的生活に​おける​抱負、​続いて​普通の​男女が​心を​寄せる​問題、​すなわち父母、​家族、​子供に​関する​こと、​それから​仕事に​ついて、​その後、​四番目か五番目あたりに、​性の​問題が​出てきます。

​ ですから​私は、​性に​関する​事柄を​会話や​興味の​中心に​据えている​人を​見ると、​彼らは​普通ではなく、​気の​毒な​人々、​おそらくは​病気だろうと​思います。​いつも​決まって笑いを​誘うことになりましたが、​病院などを​一緒に​巡った​あの​若者たちには、​そのような​哀れな​人を​見るに​つけ、​まるで​頭の​周りが​一メートルも​ある​子供を​見た​ときと​同じくらいかわい​そうに​思う、と​言った​ものです。​こういう​不幸な​人たちに​会うと、​祈る​気持ちだけでなく、​兄弟愛の​心から​同情せずには​いられません。​哀れな​病が​治るよう​願ってやまないからです。​常に​性の​問題を​中心に​おく​人た​ちが、​同じ​問題に​悩まない​男女に​比べて、​より​男性的、​より​女性的であるとは​決して​言えないのです。

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