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キリスト信者の​自己支配

徹底的に​離脱した​寛大な​心を、​主は​お望みです。​自分を​虜に​している​太い​綱や​細い糸を​完全に​断ち切る​なら、​主の​お望みに​応える​ことができます。​そうする​ためには​自己の​判断と​意志を​捨てる​絶え間ない​戦いが​必要に​なりますが、​確かに​これは、​欲しくて​たまらない​物質的善を​捨てるよりもはるかに​骨の​折れる​仕事です。

​ 主は​すべての​キリスト者に​このような​離脱の​心を​要求されますが、​離脱の​心は​当然ながら​行いに​表れなければなりません。​「イエスが​行い、​また、​教え​始め」​10と​あるとおり、​主は​教えを​垂れるに​当たって​まず​行いで​示し、​次いで​言葉で​教えました。​極貧の​中、​馬小屋で​生まれ、​地上での​最初の​まどろみは​まぐさ桶の​藁の​中であったように。​その後の​宣教中に​示された​数多くの​模範の​中から、​弟子と​なって​従う​決意を​した​人たちに​向かって​言われた、​次のような​明白な​忠告を​思い出して​おきましょう。​「狐には​穴が​あり、​空の​鳥には​巣が​ある。​だが、​人の​子には​枕する​所も​ない」11。​また​弟子た​ちが、​空腹を​満た​すために​安息日であるにも​かかわらず麦の​穂を​摘んだ​場面12も、​決して​忘れないでください。

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