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日常生活では​自らに​厳しく​接すべきです。​自惚れや​気紛れ、​安楽や​怠惰などに​負けては​なりません。​負けてしまうと、​問題で​ない​事を​問題に​し、​必要でない​ものを​必要であると​考えてしまいます。​歩みを​阻む邪魔ものを​取り​除き、​重荷を​おろして、​急ぎ足で​主に​近づかなければなりません。​<心の​貧しさ>とは、​持たない​ことではなく、​真の​離脱の​ことですから、​勝手な​理由を​作り上げて、​仕方​ないと​諦めるが​ごとき​自己欺瞞に​陥らないよう​注意しましょう。​「必要な​分だけを​求めなさい。​そして、​それ以上は​望まないように。​必要以上の​ものは、​ほっとさせてはくれない。​それどころか​苦しみのもとになる。​奮起させる​どころか、​悲しくさせてしまうからである」29。

​ 一風​変わった​複雑な​事情を​想像して、​このような​ことを​勧めているのでは​ありません。​神の​現存を​保つために、​射祷を​書いた​紙片を、​栞と​して​使っていた​人を​知っていますが、​そうこうする​うちに​その​紙切れが​宝物のように​愛おしくなってきました。​何でも​ない​紙切れに​愛着を​感じている​ことに​気づいたのです。​大した​徳の​模範ですね!​お役に​立てるなら、​私自身の​惨めさを​お見せする​ことに​やぶさかでは​ありません。​いま少しだけ​お見せしました。​おそらく​あなたにも​同じような​ことがあるのではないかと​思うからです。​たとえば、​あなたの本、​服、​机、​あなたが​執着する​紛い物の​数々。

​ そのような​時には、​子供じみた​気持ちに​なったり、​小心にとらわれたりせずに、​霊的指導者に​相談してください。​時に​よっては、​短期間、​ある​物の​使用を​中止し、​小さな​犠牲と​して​捧げるだけで​充分でしょう。​いつも​利用している​乗り物を​一日​使わなかったとしても、​別に​大した​ことでは​ありませんから、​わずかな​額の​乗車料金を​献金する​ことも​できます。​いずれに​しても​離脱の​精神が​あるなら、​その​離脱の​心を​人目に​つかずに​実行する​機会を、​絶えず​見つけ出すことができるはずです。

​ 心を​打ち明けた​あとで、​捨てる​つもりの​一切ない​執着心を​持っている​ことも​白状すべきでしょう。​それは、​皆さんを​心から​愛している、と​いう​ことです。​この​愛は​神から​教わりました。​まず​自分の​周りから​はじめて、​すべての​人を​限りなく​愛し、​主の​模範を​忠実に​実行する​つもりです。​「イエスの​愛しておられた​弟子」​30と​いう​福音書の​言葉には、​イエスの​愛が​如実に​あらわれています。​主の​熱烈な​愛情を​知って​心を​打たれずに​いられるでしょうか。

聖書への参照
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