128キリスト信者の道 キリストの教えは実に明白です。いつものように福音書を繙いてみましょう。マタイ福音書第十一章を開くと、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」4という言葉が目に入ります。お分かりでしょうか。私たちは唯一の模範であるイエスに教わらなければなりません。躓きや戸惑いを恐れずに前進したいのなら、主の歩まれた道を歩むほかはない。主のみ跡を一歩一歩踏みしめ、謙遜で忍耐強い聖心のうちに入り込み、主の命令と愛の泉から力を汲みとる。一言でいえば、イエスに同化するのです。兄弟である人々の中にあって、本当に<もう一人のキリスト>であると言えるようになるために努力しなければなりません。 ごまかしでないことを確かめるために、マタイ福音書の他の箇所を読んでみましょう。第十六章を見ると、主は一層明確に教えておられます。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」5。神への道は、放棄の道、犠牲と依託の道です。しかし、悲しみの道でも気弱な人の道でもありません。 ベツレヘムのまぐさ桶からカルワリオの玉座に至るまで、道々キリストがお示しになった模範にもう一度目をやり、飢えや渇き、疲れや暑さ、睡魔や虐待、無理解や涙6など、あらゆる種類の窮乏を忍び、自己を放棄する主、そして、全人類の救いを思って喜ぶ主について黙想しましょう。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」7。このように呼びかけた聖パウロの言葉を、心と精神に刻み込んでいただきたい。何度も黙想し、実行に移す努力をして欲しいのです。聖書への参照マタイ 8, 20マタイ 4, 1–11マタイ 8, 24マタイ 11, 29–30マタイ 12, 1マタイ 16, 24–26マタイ 21, 18–19ルカ 2, 6–7ルカ 4, 16–30ルカ 11, 53ルカ 11, 54ヨハネ 4, 6ヨハネ 11, 33–35エフェソの信徒への手紙 5, 1–2 この点を別の言語で 選択するEspañol (原文)БългарскиCatalàČeskyDeutschEnglishFrançaisGalegoItaliano한국어LietuviškaiLatviešuMagyarNederlandsPolskiPortuguês BrasileiroPortuguêsRomânăРусскийSlovenskySlovenščinaSvenska简体中文繁體中文…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/amigos-de-dios/128/ (2024/09/14)