131

たとえ躓いても、​辛い​失敗の​後に​再び立ち​上がり、​志気を​新たに​して​前進する​望みを​持つことができるなら、​恐れるに​足りません。​聖人とは、​失敗しない​人ではなく、​謙遜と​聖なる​頑固さに​支えられて、​失敗しても​必ず​立ち上がる人である​ことを、​忘れないで​欲しい。​箴言が、​「義人は​七度た​おれる」10と​いう​くらいですから、​哀れな​私たちが、​自分の​惨めさや​躓きに​驚いたり、​意気消沈したり​すべきでは​ありません。​「疲れた​者、​重荷を​負う者は、​だれでも​わたしのもとに​来なさい。​休ませてあげよう」11。​こう​約束してくださった​御者に​強さを​求めるなら、​弛まず前進する​ことができるからです。​ありが​たいことに、​「あなたは​わたしの​神、​わたしの​砦」​12です。​あなたのみが、​常に​私の​砦、​私の​避難所、​私の​支えでありますから。

​ 本気で​内的生活に​進歩したいの​なら、​謙遜に​なりなさい。​そして、​絶えず、​信頼しきって、​主キリストの​助けと、​主の​母であり​私たちの​母でもある​聖マリアの​助けを​求めるのです。​この​前の​過失が​与えた​傷が​どんなに​痛もうとも、​穏やかな​心と​新たな心で​その​十字架を​抱きしめ、​主に​申し上げましょう。​「主よ、​あなたの​助けさえ​あれば、​戦いを​続ける​ことができるでしょう。​急な​坂や、​日々の​仕事の​外見上の​単調さ、​道中の​茨や​小石を​恐れずに、​あなたの​招きに​忠実に​応えたいと​思います。​あなたは​慈しみ深い心で​私を​助けてくださいますから、​やがて、​永久に​続く​喜びと​愛、​永遠の​幸せを​見出すことができるでしょう」。

​ 例の​作家は​同じ夢の​中で​第三の​道を​見つけました。​それは​狭く、​険しく、​第二の​道と​同じくらい​辛い​坂道です。​幾人かの​人が、​厳粛荘厳な​面持ちで、​数々の​艱難を​乗り越えて​進んでいる。​ところで、​その​道の​果てには、​第一の​道と​同じく​恐ろしい​崖が​待ちうけている。​実は、​これこそ​偽善者の​通る道。​その​人々の​意向は​正しさを​欠き、​利己的な​熱心さに​動かされ、​神の​業を​現世的利己主義と​混同してしまっている。​「愚か者は​賞賛の​的になろうと​骨の​折れる​事業を​企てる。​地上での​報いを​望みながら、​神の​掟を​守る​ために​熱心に​努力は​する。​徳の​実行で​人間的利得を​望むことは、​あたかも​値打ちものの​貴金属を​投げ売りに​供するのと​同じなのだ。​天国を​勝ち取る​ことができるのに、​儚い地上の​賞賛で​満足してしまう。​それゆえ、​偽善者の​希望は​蜘蛛の​巣の​ようだと​言われる。​丹精込めて​編み上げても、​最後に​死と​いう​一陣の​風に​運び去られてしまうのだ」​13。

この点を別の言語で