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イエスは​人々への​愛ゆえに​自らを​燔祭と​してお捧げに​なった。​キリストの​弟子で​あり神の​愛し子、​十字架の​値で​買われた​あなたは、​自らを​捨てる​覚悟を​しなければならない。​どのような​状況に​あっても、​決して​利己心や​自己満足に​陥っては​なりません。​単刀直入に​言えば、​道楽者のような​愚かな​振舞い​は​許されないと​いう​ことです。​「人々の​尊敬を​勝ち取る​ために​のみ​汲々とし、​人望を​集め評判を​高めんと​熱望し、​あるいは、​愉快な​生活だけを​追い​求めるなら、​あなたは​道に​迷っている。​苦しく、​狭く、​険しい​道を​通過した​者に​のみ​天の​国に​入る​ことが​許され、​永遠に​主と​共に​憩い、​そして​君臨する​ことができるのだ」8。

​ 進んで​十字架を​担う​決心が​必要です。​万一それが​できないのなら、​口では​キリストに​倣うと​言いながら、​行いでは​それを​否定する​ことに​なり、​師と​親密に​交わる​ことも​真実に​主を​愛する​ことも​できなくなります。​この​点に​ついてなるべく​早く、​しかも​深く​理解しなければなりません。​わが​ままや​虚栄心を​満足させ、​安楽や​歓心を​誘う物を、​自発的に​捨てなければ、​主の​傍を​歩むことは​できない。​犠牲と​いう​優雅な塩で​味付けを​しない​日々が​あってはならないのです。​万一、​そんな​生活は​不幸だと​思うような​ことが​あっても、​そのような​思いは​すぐに​捨ててください。​自分の​十字架を​雄々しく​担わず、​自らに​打ち​勝つ努力もしないで、​激情や​軽薄さに​引きずられて​その​支配に​任せるなら、​たとえ幸せだと​思った​としても、​実に​哀れとしか​言いようが​ありません。

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