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心の​中のみ​国

 主なる​神、​なんと​偉大な​お方でしょう。​あなたこそ​私たちの​生活に​超自然の​意味と​神的な​効果を​お与えに​なる方です。​自己の​弱さが​耳に​響く​ときにも、​御子の​愛ゆえに​全力を​あげ、​全身​全霊を​込めて、​「かれは​栄えなければならない」と​叫ぶことができるのは​あなたの​おかげです。​私たちが​足ばかりでなく​33、​心も​頭も​泥で​できている​被造物 ― なんと​いう​被造物でしょう​ ― である​ことを​あなたは​ご存じですから。​ただ​あなたに​よって​のみ、​私たちは​超自然の​生活を​続ける​ことができるのです。

​ キリストが​支配なさるのは、​何よりも​まず、​私たちの​心です。​しかし、​どのように​してお前を​支配させる​つもりなのかとお尋ねに​なると​すれば​どう​答えましょうか。​私なら次のように​答えるでしょう。​キリストの​支配を​実現させる​ためには、​豊かな​恩恵が​必要です、と。​恩恵の​助けが​あればこそ、​最後の​鼓動、​臨終の​ときの​一息、​ぼんやりと​した​視線、​ありふれた​言葉、​最も​人間的な​感情に​至るまで、​王である​キリストに​対する​ホザンナに​変える​ことができるのです。

​ キリストの​支配を​望むなら、​心を​主に​捧げる​ことから​始めて、​終始、​首尾一貫した​態度を​とるべきです。​もしそうしないなら、​キリストのみ​国に​ついて​話しても、​キリスト教的な​内容の​何も​ないただの​叫び、​ありも​しない​上辺だけの​信仰、​さらには、​人間的で​いい​加減な​仕事の​ために​神の​名を​偽って​利用する​ことに​なりかねません。

​ イエスが​私の​心や​あなたの心を​支配なさる​ために、​それに​相応しい​場を​整えなければならないと​いうのであれば、​諦めてしまって​当然でしょう。​しかし、​「シオンの​娘よ、​恐れるな。​見よ、​お前の​王が​おいでに​なる、​ろばの​子に​乗って」34 。​おわかりでしょう。​イエスは​わずか​一匹の​動物を​玉座と​する​ことで​満足しておられます。​皆さんは​どう​お思いでしょうか。​主のみ前に​あって​ロバのような​者だと​知っても、​私は​別に​恥ずかしく​ありません。​「わたしは​あなたの前で​ロバ​(獣)のように​ふる​まった。​あなたが​わたしの​右の​手を​取ってくださるので、​常に​わたしは​みもとにとどまる​ことができる」35。​あなたが​手綱を​引いてくださるからです。

​ 最近​ロバは​次第に​減ってきましたが、​その​特徴を​考えて​ご覧なさい。​思いだに​しない​ときに​人を​蹴とばし、​不満の​声を​上げる​年老いた​頑固な​ロバではなくて、​アンテナのように​ピンと​張り​切った​耳を​もち、​粗食に​耐えて​よく​働き、​しっかりと​した​軽やかな​足並みを​みせる​若い​ロバの​ことです。​ロバよりも​ずっと​美しく、​器用で​野性味に​富んだ​動物が​たくさんいます。​しかし、​キリストは、​ご自分を​求める​民に​王と​しての​姿を​見せる​ために、​ロバに​目を​留められたのです。​と​いうのも、​イエスは​計算づくめの​ずるさ、​冷酷な心、​中身の​ない​上辺だけの​美しさなどに​対して​話す術を​お持ちに​なりません。​わが​主は、​若々しい​心の​喜び、​気どりの​ない​歩み、​作り声ではない声、​清らかな目、​愛情の​こもった​言葉に​すぐ​聞き入る​耳を​尊重されます。​これが​主の​支配の​意味です。

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