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全活動の​頂点に​キリストを

​ これは​夢物語ではなく、​実現可能な​目標です。​ただし、​すべての​人々が​神の​愛を​心に​留める​決心を​しなければなりません。​主キリストは​十字架に​付けられ、​十字架の​高みから​神と​人間との​間に​平和を​確立する​ことに​よって​世を​救われました。​イエス・キリストは​すべての​人々に​教えておられます。​「わたしは​地上から​上げられる​とき、​すべての​人を​自分の​もと​へ​引き寄せよう」38。​ もしあなたたちが​その​時々の​義務を​果たし、​大きな​ことであれ小さな​ことで​あれ、​何事に​おいても​わたしの​証人に​なることに​よって、​この​世の​全活動の​頂点に​私を​据える​ならば、​「すべての​人を​自分の​もと​へ​引き寄せよう」。​こうして、​わたしの​国は​あなたたちの​間に​実現するだろう。

​ 主キリストは、​人間と​全被​造界、​この​善き世界を​救う​ために​努力を​続けておられます。​この​世界は​神の​手に​よって​創られた​善い​世界です。​しかし、​アダムの​罪、​人間の​高慢の​罪に​よって、​神が​被造界に​お与えに​なった​調和が​崩れてしまいました。

​ けれども​時が​満ちた​とき、​父である​神は​御独り子を​遣わし、​御子は​聖霊の​業に​よって、​終生おとめである​聖マリアの​胎内で​人となられました。​そうな​さったのは、​平和を​もたらし、​人を​罪から​救い、​それに​よって​私たちを​神と​親しく​交わる​ことのできる​「神の​(養)子」​39に​する​ためでした。​こうして、​人と​神との​和解を​もたらした​40キリストに​おいて​すべての​ものを​回復させ、​全宇宙を​無秩序な​状態から​解放する​仕事を​41、​新しい​人・神の​子と​いう​新しい​枝42、​つまり​人間に​お与えに​なったのでした。

​ 私たちキリスト者は​その​ために​召されました。​キリストのみ​国を​実現させて、​これ以上​憎しみも​残酷な​こともないように、​また​この​世に、​穏やかだが​強烈な​愛の​香りを​浸透させる​努力を​する​こと、​これこそ​使徒職であり、​心を​〈食い​尽く​すべき情熱〉です。​今、​私たちの​王に​お願いして、​破壊した​ものを​修復し、​見失われた​ものを​見つけ出して​救い、​人間が​乱した​秩序を​回復し、​迷う​ものを​目的地に​導き、​全被​造物の​間に​一致を​再建すると​いう​神の​計画に、​慎み深く、​しかし​熱心に、​協力させていただきましょう。

​ キリスト教の​信仰を​もつとは、​イエスの​使命を​人々の​間で​続ける​約束を​する​ことに​ほかなりません。​私たち一人​ひとりが、​もう​一人の​キリスト・キリスト自身に​ならなければなりません。​そうして​初めて、​〈救いの​パン種〉を​社会の​あらゆる​分野にも​たらし、​内部から​社会を​聖化すると​いう​果てしなく​広大で​偉大な​事業に​着手する​ことができるのです。

​ 私は​政治を​論ずる​ことは​絶対にしません。​たとえ人間の​諸活動に​キリストの​精神を​鼓舞すると​いう​よい​目的の​ためであっても、​キリスト信者の​この​世に​おける​使命が​政治と​宗教との​結び​つきに​あるとは​思わないからです。​そうならば​狂気の​沙汰と​言えるでしょう。​な​すべきことは、​相手が​誰であっても、​一人​ひとりの​心を​神で​満たす​ことなのです。​キリスト信者一人​ひとりに​話しかけて、​それぞれが​自らの​置かれた​場、​教会や​社会での​地位だけでなく、​歴史的事情に​よっても​いろいろに​変わり得る​各自の​占める​場で、​模範と​言葉を​通して​信仰を​証す人と​なる​ことができるように​努力したい​ものです。

​ キリスト信者は​人間と​しての​権利を​すべて​持って社会に​生きています。​心に​キリストが​お住まいに​なる​ことと​キリストの​支配を​認めれば、​毎日の​仕事すべてに​主の​効果的な​救い、​しかも​非常にはっきりした​効果を​見出すでしょう。​世に​言うように、​仕事が​尊いとか​卑しいとかは​問題では​ありません。​人間に​とって​最高と​見える​ことが神の​目には​最低である​ことが​あり、​通常、​低いとか、​慎ましいと​呼ばれる​ものが、​聖性と​奉仕と​いう​キリスト教的な​徳の​頂点に​位する​ことも​あり得るからです。

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