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もう​目覚める​とき

 ミサの​書簡を​読むと、​目覚めて​新しい​精神を​もって、​使徒と​しての​責任を​元気よく​引き受けなければならないと​いう​ことを​思い出します。​「今が​どんな​時であるか​(…)​あなたが​たが​眠りから​覚めるべき時が​既に​来ています。​今や、​わたしたちが​信仰に​入った​ころよりも、​救いは​近づいているからです。​夜は​更け、​日は​近づいた。​だから、​闇の​行いを​脱ぎ捨てて光の​武具を​身に​着けましょう」16。

​ それは​容易な​ことではないと​言われるかも​知れません。​確かに​そうでしょう。​人間の​敵は​その​聖性の​敵でもあります。​キリストの​精神を​着ると​いう​この​新たな​生命を​妨げようと​しているからです。​キリスト信者と​して​忠誠を​守ろうと​する​とき​現れる​障害に​ついて、​ヨハネは​見事に​要約しています、​「肉の​欲、​目の​欲、​生活の​おごり」​17と。​世に​ある​ものは​すべて、​肉の​欲、​目の​欲、​生活の​おごりなのです。

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