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謙遜と​喜び

​「人間が​もつ​すべての​邪悪から​解放してください」27。​ミサの​本文は​再び良い​意味での​ <神化>に​ついて​語ります。​悪への​傾きと​共に​人間の​悪しき性質を​示した後で、​「あなたの光を​送ってください」​28、​あなたの光と​真理を​送り、​私を​導き、​あなたの聖なる​山に​連れて​行ってくださいと​嘆願します。​この​昇階誦を​朗読すると​深い​感動を​覚えずには​いられません。

​ 良い​意味での​<神化>を​実現させる​ために、​何を​すべきでしょうか。​福音書には​「イエスは​ガリラヤを​巡っておられた。​ユダヤ人が​殺そうとねらっていたので、​ユダヤを​巡ろうとは​思われなかった」​29と​書いてあります。​望みさえ​すれば​敵を​追い​払うことができましたが、​主は​そうは​せずに​手立てを​講じました。​神である​キリストは​思いのままに​情況を​変える​ことが​できたのに、​ユダヤに​行かず、​私たちに​良い​教訓を​残してくださいます。​「イエスの​兄弟たちが​言った。​『ここを​去って​ユダヤに​行き、​あなたのしている​業を​弟子たちにも​見せて​やりなさい。​公に​知られようとしながら、​ひそかに​行動するような​人は​いない。​こういう​ことを​しているからには、​自分を​世にはっきり示しなさい』」30。​彼らは​見世物的な​ことを​望んでいたのでした。​ここに、​良い​意味での​<神化>と​悪い​意味での​<神化>に​関する​教えの​ある​ことが​お分かりでしょう。

​ 良い​意味での​<神化>は​奉献文で​歌われるように​「み名を​知る​人は​あなたに​依り頼む。​あなたを​尋ね求める​人は​見捨てられる​ことがない」31と​主に​希望します。​そして​遜る​人の​喜びが​あとに​続きます。​「貧しい​人の​叫びを​お忘れに​なる​ことはない」32と。

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