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高慢は​敵である

​ ところで、​何が、​謙遜な​生活すなわち良い​意味での​<神化>を​妨げるのでしょうか。​それは​高慢です。​高慢こそ​悪い​意味での​<神化>を​もたらす重大な​罪です。​些細な​事柄に​おいて​さえも、​「目が​開け、​神のように​善悪を​知る​ものとなる」13と​囁く、​サタンの​人祖に​対する​誘惑に​屈服させるのが​高慢なのです。​また、​聖書には​次のようにも​書いてあります。​「高慢の​初めは、​主から​離れる​こと、​人の​心が​その​造り主から​離れる​ことである」14。​ひとたび高慢と​いう​悪徳に​とり憑かれると、​人間の​全存在が​影響を​受け、​聖ヨハネが​「生活の​おごり」​15と​称する​状態に​陥ってしまいます。

​ 思い​上がる?​何に​ついてでしょうか。​聖書は、​高慢な​者を​非難して、​その​悲劇と​滑稽さを​同時に​強調し、​次のように​言っています。​「土くれや​灰に​すぎぬ身で、​なぜ​思い​上がるのか。​だから​わたしは、​彼のはらわたを、​生きている​ときに、​つかみ出して​やった。​長患いは、​医者の​手に​負えず、​今日、​王であっても、​明日は​命を​奪われる」16。

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