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この​秘義に​思いを​はせる​聖パウロの​口から、​喜びの​賛歌が​ほとばしり出ます。​ゆっくりと​味わってみましょう。​「互いに​この​ことを​心がけなさい。​それは​キリスト・イエスにも​みられる​ものです。​キリストは、​神の​身分で​ありながら、​神と​等しい者である​ことに​固執しようとは​思わず、​かえって​自分を​無に​して、​僕の​身分に​なり、​人間と​同じ​者に​なられました。​人間の​姿で​現れ、​へりくだって、​死に​至るまで、​それも​十字架の​死に​至るまで​従順でした」8。

​ 主イエス・キリストは、​教えを​垂れる​とき、​たびたび​自らの​謙遜を​模範と​してお示しに​なりました。​「わたしは​柔和で​謙遜な​者だから、​わたしの​軛を​負い、​わたしに​学びなさい」9。​これは、​人間が​自己の​虚無を​率直に​認める​ほかに​神の​恩寵を​引き寄せる​道は​ないと​いう​教えです。​「私たちの​ために​主は​来られた。​食べ物を​与える​ために​空腹を​覚え、​飲み物を​与える​ために​渇きを​感じ、​不死の​体を​まとわせる​ために​滅びる​人間の​肉体を​持ち、​豊かに​する​ために​貧しさの​なかに​来られた」10。

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