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イエスが​御父とお話しになる​場面は​無数に​あるので、​今それら​すべてに​目を​留める​ことは​できません。​しかし、​受難と​死去に​先立つあの​非常に​密度の​濃い​数時間、​人類を​神の​愛に​引き戻す犠牲を​準備する​ときに​ついては、​考えないわけには​ゆきますまい。​高間での​親しい​雰囲気の​中で、​主の​聖心から​愛が​溢れ出ます。​御父に​向かって​嘆願の​声を​あげ、​聖霊の​降臨を​予告し、​愛と​信仰の​火を​保ち続けるよう弟子たちを​励まされる。

​ 贖い主の​燃えるような​祈りは​ゲッセマニでも​続きます。​受難が​目前に​迫っている​こと、​屈辱と​苦痛、​悪人を​吊す十字架の​想像を​絶する​苦しみが​近づいている​こと、​これら​すべてを​予感しておられる。​しかも、​それらを​熱望しておられます。​「父よ、​御心なら、​この​杯を​わたしから​取りのけてください」5。​けれども、​すぐさま、​「しかし、​わたしの​願いではなく、​御心のままに​行ってください」6と​仰せに​なる。​その後、​永遠の​司祭のように​両腕を​大きく​広げて、​一人きりで​木に​釘づけに​されながらも、​主は​御父との​会話を​お続けに​なりました。​「父よ、​わたしの​霊を​御手に​ゆだねます」7。

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