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祈りとは語り合い

私たちはすでに祈りの道に入りました。これから先どのようにして続けていけばよいのでしょうか。大勢の男女が満足げに自分自身に耳を傾けて独り言を言うことはご存じでしょう。それは、慰められたい、誉められたいという病的な望みから、自らの心配事を別段解決策を講ずることなく長ったらしく話し続ける独り言、終わりのない無駄話です。それ以上のことは考えないのです。

本心から心の重荷を下ろしたいとき、率直誠実な人なら、愛と理解を示してくれる人の忠告を求めるはずです。父や母、夫や妻、兄弟や友人に話します。このような場合、相手の助言を聞くよりも、自分の心を打ち明け、起こったことを話すほうを好むのが普通ですが、それでも、これは対話です。神が私たちの言葉に耳を傾け、答えてくださることを確信し、神に対してもこのように話したいものです。神のもとに駆け寄り、心を悩ませる事柄すべてを、信頼を込めて謙遜に話すのです。喜びと悲しみ、希望と不快、成功と失敗、日々の出来事の些細な点まで打ち明けます。私たちに関わりあることはすべて、天の御父の関心事であることが分かるでしょう。

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