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高価だが​壊れ易い​装飾品や​花瓶を​持っている​家族が、​それらを​どんなに​大切に​取り扱うかに​注目したことが​あるでしょうか。​ある​日、​その​素晴らしい​<想い出の​品>が​子供の​悪戯で​砕けてしまいました。​がっかりしますが、​すぐ​修理に​とりかかります。​かけらを​拾い​集めて​入念に​接ぎ合わせ、​元のように​きれいに​復元します。

​ 壊れ物が​普通の​瀬戸物なら、​鉄や​他の​金属の​<かすが​い>が​あれば​事足ります。​このように​接ぎ合わされて​元通りに​なった​器には、​一種独特の​魅力が​備わっている​ものです。

​ 以上を​内的生活に​当てはめてみましょう。​主の​恩寵の​おかげで​大事には​至らなかったとは​いえ、​惨めさや​罪、​過ちに​気づいたならば、​父なる​神に​向かって​祈りたい​ものです。​「主よ、​貧しく​脆く​こわれた​土器に​過ぎない​この​私に、​<かすが​い>を​はめてください、​そう​すれば​痛悔する​私の​心を​赦すあなたの​おかげで、​以前にもまして​頑丈で​美しい​器と​なる​ことでしょう」。​これは、​哀れな​土くれに​過ぎない​私たちが、​挫折する​たびに​繰り返すべき心からの​祈り、​慰めを​もたら​す祈りと​言えます。

​ た​とえ、​自分の​躓きに​気づいても​驚く​ことは​ありません。​些細な​ことですぐに​駄目になってしまうことが​今更ながら​分かっても、​がっかりする​必要は​ないのです。​いつなんどきでも​助けの​手を​差し​伸べようと​待ちかまえていてくださる​主に​信頼してください。​「主は​わたしの​光、​わたしの​救い、​わたしは​誰を​恐れよう」3。​天の​御父と​このように​親しく​接する​ことができるのですから、​誰に​対しても、​何に​対しても、​恐れなど​抱いて​欲しく​ありません。

聖書への参照
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