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主に​従う​ために

​ ​「謙遜には​知恵が​伴う」4と​箴言に​あります。​主の​声を​聞く​ためには​謙遜でなければなりません。​謙遜とは、​真っ向から​自分を​見つめ、​ありのままの​自分の​姿を​知る​ことです。​そして、​ほとんど​価値の​ない​自分に​気づくと、​その​時こそ神の​偉大さに​目を​向ける​ことができます。​これが​人間の​素晴らしい​ところでしょう。

​ 地上の​ありと​あらゆる​被造物に​優る​貴婦人、​御子の​母は、​謙遜を​本当に​深く​理解しておいでになりました。​「権力ある​者を​その​座から​引き降ろし、​身分の​低い者を​高く​上げ…」5と​聖マリアは​主の​力を​褒め称えます。​「身分の​低い、​この​主の​は​しためにも​目を​留めてくださったからです。​今から​後、​いつの​世の​人も​わたしを​幸いな者と​言うでしょう」6と。

​ 神の​謙遜を​目の​当たりに​した​聖マリアは、​その​汚れない​心ゆえに​聖なる​者と​なりました。​「聖霊が​あなたに​降り、​いと​高き方の​力が​あなたを​包む。​だから、​生まれる​子は​聖なる​者、​神の​子と​呼ばれる」7。​聖マリアの​謙遜は、​深遠で​測り知る​ことのできない​神の​恩寵の​おかげ、​胎内で​三位一体の​第二の​ペルソナが​人となられた​結果であると​言えます。

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