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ところで​人間とは​異な​もので、​こんなに​素晴らしい​ことも​忘れ去り、​これほどの​秘義にも​慣れてしまいます。​この​四旬節を​機会に、​キリスト信者である​限り浅薄な​生活を​送る​ことは​できないのだと​肝に​銘じたい​ものです。​人々と​同じく​仕事に​没頭し、​夢中に​なり、​緊張した​毎日を​送る​キリスト信者は、​同時に​神にも​夢中に​ならなければならないのです。​私たちは​神の​子なのですから。

​ 神との​親子関係は​喜びに​満ちた​真理であり、​慰めに​満ちた​秘義です。​この​関係は​私たちの​霊的生活全般に​大きな​影響を​与えます。​神の​子である​ことを​自覚する​ことに​よって​天の​御父に​近づき、​御父を​よく​知り、​愛する​ことができ、​従って、​内的な​戦いにも​希望が​湧き、​幼い​子どものように​単純で​素直で​信頼に​満ちた​心を​持つことができるようになるからです。​しかも、​神の​子である​ことを​自覚すれば、​創造主に​して父である​神の​御手から​出た​全被​造物を、​愛と​感嘆を​もって​眺める​ことができる​ことでしょう。​そして、​社会に​いながら世を​愛しつつ観想生活を​送る​ことが​可能に​なるのです。

​ 四旬節の​典礼は、​私たちが​有する​アダムの​罪の​結果を​思い出させます。​アダムは​神の​子に​相応しく​振る​舞わず、​神に​逆らったのです。​しかし、​同時に​全教会が​復活祭の​前夜に​喜び歌う​あの​「幸いな​罪よ」​40と​いう​歌も​聞こえてきます。

​ 時が​満ちると、​神は​御独り子を​お遣わしに​なりました。​それは、​人間に​平和を​もたらし罪から​解放して​「わたしたちを​神の​子となさる​ため」​41だったのです。​私たちを​神の​子とし、​罪の​く​びきから​解放して​聖三位一体の​ご生活に​参与させる​ためだったのです。​そして、​神の​子と​なった​新しき人に​力が​与えられた​結果​42、​神と​和睦させて​43くださった​キリストのもとに​すべてを​集め44、​被造界全体に​秩序を​回復すると​いう​大事業が​可能に​なりました。

​ 今こそ​痛悔の​心を​起こさなければなりません。​しかしすでに​見たように、​痛悔とは​否定的な​ことを​意味しているのでは​ありません。​キリストが​与えてくださった​45神の​子の​精神を​もって​四旬節を​過ごさな​ければならないのです。​主は、​私たちが神に​似た者と​なる​希望を​もって​近づくように​呼んでくださいます。​「あなたがたは​神に​愛されている​子供ですから、​神に​倣う​者と​なりなさい」​46、​そして、​破壊された​ものを​修復し、​失われた​ものを​回復し、​罪深い​人間が​乱した​秩序を​取り戻し、​道から​逸れた​者を​目的地まで​導き、​全被​造物の​間にもとの​調和・神的な​調和を​取り戻す神のみ​業に​謙遜な​心でしかも​熱心に​協力しなさい、と。

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