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様々な​機会を​とらえて、​皆さんに、​福音書の​あの​感動的な​場面を​思い起こすよう​勧めてきました。​イエスは、​つい​先ほど​人々に​話しかけられた​ところ、​ペトロの​舟に​乗っておられます。​付き従ってくる​群衆を​見て、​人々の​救いを​思い、​心は​燃え​上がってきました。​そこで、​神である​先生は、​弟子たちにも​同じ​熱意を​もたせようと​望み、​「沖に​漕ぎ出しなさい」1と​命じ、​その後、​ペトロに​網を​降ろせと​仰せに​なりました。

​ この​場面から​多くの​教訓を​引き出すことができますが、​いま詳しく​考える​つもりは​ありません。​それよりも、​奇跡を​目の​当たりに​して、​「主よ、​わたしから​離れてください。​わたしは​罪人です」2と​叫んだ、​使徒の​頭ペトロの​反応に​ついて​考えてみたいと​思います。​ペトロの​言葉が、​私たち一人​ひとりに​当てはまることに​疑いの​余地は​ありません。​しかしながら、​今まで、​人々の​手を​通して​成就された​数多くの​恩寵の​働きを​見てきた​私は、​こう​叫びたい​気持ちで​いっぱいに​なります。​「主よ、​私から​離れないでください。​あなたの​助けが​なくては、​何一つ​良い​ことは​できませんから」。​しかも、​この​傾向は​日増しに​強くなる​一方です。

​ だから​こそ、​ヒポナの​司教の​口を​ついて​出た​言葉、​自由を​称える​あの​素晴らしい​歌が​よく​理解できるのです。​「神は​汝なしに​汝を​創造されたが、​汝なしに​汝を​救う​ことはなさらぬ」3。​悲しい​ことでは​ありますが、​神に​反旗を​ひるが​えしたり、​おそらく​行いで​神を​拒絶したり、​あるいは、​「神の​支配を​望まない」4と​叫んだりする​ことが、​私たちには​ありうるのです。

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