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自由と​献身

神の​愛は​妬み深く、​呼びかけに​条件づきで​応えても​満足してはくださいません。​すべてを​捧げよ、​超自然の​賜物と​恩寵の​喜びの​邪魔を​する​正体の​明らかでない​障害を、​心からとり払いなさい。​主は​このように、​も​どかしげに、​待っておいでになります。​ところで、​神の​愛に​無条件に​応えると、​自由を​失うことに​なりは​しないかと​心配する​人も​いるでしょう。

​ この​祈りの​ひと​ときを​見守ってくださっている​主の​助けと​光の​おかげで、​いま黙想中の​テーマが​一層明らかに​理解できればと​思います。​主キリストに​仕えるのなら、​苦痛と​疲れを​避ける​ことができない​ことは、​経験に​よってすでに​知っています。​このような​事実を​否定する​人は、​まだ神と​出会っていない​人でしょう。​愛に​溢れた​人なら、​たとえ苦しみに​襲われても、​その​苦しみは​永続する​ものではなく、​荷も​軽く​快い​ものである​ことが​すぐに​分かるはずです。​人間の​永遠の​幸福が​かかっている​とき、​十字架を​抱きしめてくださったように​24、​主は​自ら重荷を​担ってくださいます。​しかし、​これが​理解できない​人もいます。​弱々しく、​悲しくもけちな​反抗では​あるが、​創造主に​反旗を​ひるが​えし、​詩編に​出てくる​あの​意味の​ない​不満の​声を​盲目的に​繰り返すのです。​「彼らの​枷を​打ち​砕き、​くびきを​投げ捨て​よう」25​(1972年典礼委員会訳)。​反抗を​続けたり、​毎日の​仕事の​辛さを​見せびらか​したり、​不平を​こぼしたりするばかりで、​黙々と​自然な​態度ですべてを​果た​そうとしません。​たとえ苦しみと​痛みが​伴っても​神のみ​旨を​果たすなら、​神ご自身と​神の​計画の​中に​しか​存在しない​自由を​自分の​ものに​できる​ことが​理解できない​人々です。

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