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タラントンの​喩え話を​思い出してください。​一タラントンを​受け取った​召​使いは、​同僚と​同じように、​自分の​才能を​活かして​預かった​タラントンを​うまく​活用し、​利益を​引き出すことが​できたはずです。​何を​考えていたのでしょう。​タラントンを​失っては​大変だと​心配します。​それは​それで​悪くは​ありません。​しかし、​その後で​何を​しましたか。​タラントンを​地に​埋めた​27ので、​なんらの​利益を​上げる​ことも​できませんでした。

​ 逃げの​態度を​とってしまい、​仕事の​能力、​知性、​意志を​使う、​つまり​全身​全霊を​込めて​事に​当たる​ことを​しなかったのです。​忘れないで​おきたい​喩えです。​あの​哀れな​男は​考えました。​「タラントンは​埋めよう。​これで​自分の​自由は​確保できる」。​ところが、​そうは​いきません。​あの​召使いの​自由は、​いかにも​貧しくて​不毛な​ものに​向かってしまいました。​自分で​方法を​選ぶほか​なかったので、​確かに​選びは​しましたが、​失敗します。

​ 自由と​献身は​両立しないと​考える​ほど​愚かな​ことは​ありません。​献身は​自由の​結果と​して​生まれるのです。​たとえば、​母親が​自分の​子供たちの​ために​自らを​犠牲に​するのは、​自分で​自由に​選択したからです。​愛の​大小に​比例して、​自由の​大小が​決まります。​愛が​大きければ、​多くの​実を​結ぶでしょう。​子供たちの​善は、​献身を​意味する​幸いな​自由と、​本物の​自由である​幸いな​献身から​生まれる​ものです。

聖書への参照
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