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イエスの​模範

​「新たに​生まれた​みどり児のように…」。​嬉しい​ことに、​ありと​あらゆる​ところで​この​神の​子と​しての​自覚を​人々に​伝える​ことができました。​神の​子と​しての​自覚が​しっかりしているなら、​ミサ聖祭の​典礼に​取り入れられた​次の​言葉を​深く​味わうことができるでしょう。​「神から​生まれた​人は​皆、​世に​打ち​勝つからです」7。​言い​換えれば、​人々と​社会に​平和を​もたら​すための​偉大な​戦いに​おいて、​困難を​克服し、​勝利を​得る​ことができると​いうのです。

​ 私たちの​力と​知恵は、​神のみ​前で、​卑小で​無に​等しい​自らの​状態を​悟る​ところから​生まれます。​ところで、​無力を​自覚すると​同時に、​全幅の​信頼を​込めて​御ひとり子イエス・キリストを​人々に​告げ知らせよ、​と励ますのは​神ご自身です。​たとえ惨めさや​失敗が​目に​ついても、​弱さを​克服する​ために​弛まず​戦いを​続けながら、​キリストを​人々に​知らせるよう​努力しなければなりません。

​ ​「善を​行う​ことを​学べ」​8と​いう​聖書の​勧めを、​私は​何度も​繰り返してきました。​確かに、​善の​実行の​仕方を​学び、​それを​人々に​教える​必要が​あります。​しかし、​それには​まず​自分から​始めねばなりません。​友人​一人​ひとりに、​人々に、​どのような​善を​望めば​よいのか、​いかなる​善を​施すべきであるかを​見つける​努力が​要求されています。​神は​私たちの​父であり、​私たちは​神の​子であると​いう​事実を、​言葉で​表現できなくても、​単純な心で​眺めながら、​人々に​仕える​方​法を​学んで​ゆく​―神の​偉大さを​考える​ために、​これに​勝る​道は​ないのではないでしょうか。

聖書への参照
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