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生活プラン

現在の​信仰心と、​信仰心の​あるべき姿を​振り返り、​神との​一対一の​関係を​改善する​ための​具体的な​方​法を​糾明すれば、​私の​話を​理解してくださった方なら、​克服できないような​誘惑に​ついて​考える​ことは​ないでしょう。​私たちが各瞬間に​小さな​贈り物を​愛の​しるしと​して​差し上げると、​主は​大いに​喜んでくださいます。

​ 絶えず​一定の​生活プランに​従うよう​努めてください。​数分間の​念祷、​できれば​毎日の​ミサ、​また、​しばしば聖体拝領を​する​こと、​大罪が​なくとも​定期的に​ゆる​しの​秘跡に​あずかる​こと、​聖体訪問、​ロザリオの​祈りと​神秘の​黙想、​その​他すでに​ご存じの、​あるいは​これから​学ぶことのできる、​数多くの​信心の​わざが​あります。

​ 船の​内部に​ある​鉄の​仕切りのような​融通の​利かない​生活プランではなく、​社会の​中で​仕事を​持ち、​社会関係や​義務に​囲まれて​生きる​人の、​それぞれの​条件に​合わせた​日課を​立てる​ことができるでしょう。​これら​日常の​諸活動を​無視する​ことは​できない​相談ですから、​生活プランは​使う​人の​手に​ぴったりと​合う​ゴム手袋のような​条件を​備えていなければならないのです。

​ 信心の​わざは​多ければ​多い​ほど​良いと​いうわけでは​ありません。​やる​気が​あろうと​なかろうと、​一日の​うちに​できる​ものに​<寛大に​限定>するのが​良策でしょう。​信心の​わざを​実行していれば、​気づか​ぬうちに​観想生活に​入る​ことができます。​愛の​行為、​射祷、​感謝と​償い、​霊的聖体拝領などが​自然に​心から​出てくるようになるでしょう。​電話の​受話器を​おく​とき、​ドアを​開け閉めする​とき、​教会の​前を​通る​とき、​仕事の​始めや​終わりに…。​いずれの​場合も​父である​神を​想うことができますから、​結局は​日常の​仕事に​従事しながら​観想生活を​している​ことに​なるのです。

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