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神との​父子関係に​憩いを​求めてください。​神は​限りなき愛と​優しさに​溢れた​御父ですから、​何度も​心の​中で、​<父よ>と​呼びかけたい​ものです。​心の​中で​主に​申し上げましょう。​あなたに​愛を​捧げ、​あなたを​礼拝します、​あなたの子である​ことに​誇りを​感じ、​力を​得る​ことができます、と。​ところで、​このような​態度を​保つには​内的生活の​プログラムが​必要に​なります。​それは​わずかでは​あっても、​神への​しっかりした信心・孝愛と​いう​形に​あらわれ、​やがて神の​よい​子に​ふさわしい​心と​生き方を​会得させてくれるでしょう。

​ 信心の​墓と​言われる​惰性に​陥らないよう​警戒してください。​惰性に​陥ると、​往々に​して​大手柄を​立てんと​する​野心にかられ、​大きな​ことを​狙いは​するが、​日常の​義務は​都合よく​遅らせてしまいます。​そのような​誘惑が​訪れた​ときには、​神のみ​前で​糾明してください。​いつもと​同じ​ところで​戦いを​続けるのが​嫌に​なったのは、​戦うに​当たり、​神を​求めていなかったからではないだろうか。​惜しみない​犠牲の​精神を​失くした​ため、​忠実に​最後まで​仕事を​やり遂げる​力を​失ったのではないだろうか。​このように​自らを​糾明して​欲しい。​そう​すれば​分かるでしょう。​小さい​犠牲、​効果の​上がらぬ使徒職が、​この​上なく​不毛な​努力に​思えてくる。​心は​虚しくなり、​新しい​計画ばかりを​立てては​夢を​託し、​全き​忠誠を​望む天の​父の​声に​耳を​貸さなくなる。​大げさな​ことばかりを​夢に​みて、​聖性に​向かって​一直線に​導いてくれる​道、​最も​確かな​道を​忘れてしまう。​これこそ、​明らかに、​超自然の​見方を​失ってしまった​証拠です。​幼子に​過ぎない​自分を​忘れてしまったが​ために、​謙遜な​心で​やり直しさえ​すれば、​御父が​素晴らしい​わざを​実現してくださる​ことが、​確信できなくなったしるしなのです。

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