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剛毅、​沈着、​忍耐、​雅量

さて、​そろそろ​個々の​自然徳​(人間徳)に​ついて​考えてみましょう。​私が​話す間、​主と​語り合いを​続けてください。​受肉の​秘義の​意味を​より​深く​知る​ための​勇気を​お願いして​欲しいと​思います。​私たちも​また、​人々の​間で​主の​証人と​なって、​主が​人々の​救いの​ために​この​世に​おくだりに​なった​ことを、​世に​示すためです。

​ キリスト者の​生活だけではなく、​およそ​人間の​生活は​思った​ほど​簡単では​ありません。​確かに​予定通り事の​運ぶ時期も​ありますが、​あまり長続きしない。​生きるとは、​困難に​立ち向かい、​喜びや​苦しさを​味わう​ことです。​人間は​試練の​中で​忍耐強くも​逞しくもなり、​そうして​沈着と​雅量を​身に​つけてゆく​ものです。

​ 自らの​良心に​従ってな​すべきことを​知り、​これを​最後まで​果たす人、​そのような​人は​剛毅の​人と​言えます。​仕事の​価値を​自分の​得る​利益に​よってではなく、​常に​仕事を​通して​人々に​提供できる​奉仕の​値打ちに​よって​測る。​強い​人は、​時々苦しむことは​あっても、​抵抗します。​泣く​こともあるでしょう。​しかし​涙を​抑える​ことができ、​大きな​困難や​反対にも​屈する​ことはない。​マカバイ記の​一節を​思い出してみましょう。​神の​法を​破るより​死を​選ぶ老人エレアザルの​話です。​「男らしく​生を​断念し、​年齢に​ふさわしい者である​ことを​示し、​若者たちに​高貴な​模範を​残し、​彼らも​尊く​聖なる​律法の​ためには​進んで​高貴な​死に​方が​できるようにしよう」7。

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