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この​心の​知恵、​つまり​分別が、​聖パウロの​言う​「肉の​思い」​15に​なるような​ことが​あっては​なりません。​知性を​もちながら、​神を​見つけ、​神を​愛する​ために、​その​知性を​活用しないような​ことが​あってはならないのです。​真の​分別が​ある​人なら、​神の​教えに​注意深く​聴き​入り、​救いの​約束と​実現を​受ける​ことができるでしょう。​「天地の​主である​父よ、​あなたを​ほめたたえます。​これらの​ことを​知恵ある​者や​賢い​者には​隠して、​幼子のような​者に​お示しに​なりました」16。

​ 心の​知恵は​他のもろもろの​徳を​治め、​そして​導きます。​分別と​賢慮の​ある​人は​無分別にならずに​大胆である​ことができる。​表には​出さないけれども、​安楽を​求める​心から​神のみ​旨に​従う​努力を​惜しむこともない。​分別の​ある​人、​賢慮の​人は​節制を​実行するにしても、​それが​無感覚や​厭世的な​ものであるとは​考えない。​分別の​ある​人の​正義には​温かみが​あり、​その​忍耐に​卑屈さは​みられない。

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