89

平凡な​道

これまで​自然徳に​ついて​考えてきましたが、​皆さんの​中には、​「そうは​言っても、​このような​生き方を​するならば、​自分の​生活環境から​孤立してしまうのではないか、​また、​それは​現実離れした​事柄ではないだろうか」と、​問う​人が​いるかもしれません。​しかるに、​そのような​ことは​決して​ありえないと​申し上げます。​キリスト信者は​世間に​馴染まない​変人でなければならないとは、​どこにも​記されていません。​主キリストは​自然さと​単純さが​必要であると​教え、​また​その​模範を​示されました。​これらは​特に​私の​気に入りの​徳であると​申し添えて​おきましょう。

​ 主が​どのように​して​この​世に​おいでになったかを​思い出してください。​私たちと​同じように​お生まれに​なりました。​幼年時代と​青年時代を​お過ごしに​なった​パレスチナでは、​大勢の​村人の​ひとりでした。​公生活に​おいても、​ナザレの​村人と​変わらぬ生活が​色々な​機会に​あらわれます。​仕事に​ついて​お話しに​なる、​弟子たちが​休めるようにと​気遣われる​18、​誰とでも​付き合い、​誰とでも​語り合う。​付き従う​人々に​対しても、​近寄ろうと​している​子供たちを​妨げてはならない​19とおっしゃいました。​きっと​ご自分の​幼年時代を​思い出しながら、​広場で​遊ぶ子供たちの​例20を​挙げてお話しに​なったのでしょう。

​ これら​すべて、​ごく​当たり前で​自然な​情景では​ありませんか。​平凡な​生活の​中では​生きられないとでも​思う​人が​いるでしょうか。​とは​いえ、​人間は​ありきたりの​ことには​慣れに​陥ってしまい、​知らず知らずの​うちに​華やかで​技巧的な​ものを​追い​求める​ことは、​皆さんも​ご承知の​通りです。​たとえば、​切り​取ったばかりの​バラの​清楚な​花びらや​香りを​褒める​つもりが、​「まるで​ベルベットの​ようだ」と​言ったりします。

この点を別の言語で