戦い

  誰もが​金持ちや​賢人、​有名人に​なれるわけではないが、​誰もが、​そう、​すべての​人が​聖人に​なるよう召されている。

  神への​忠実を​保とうと​思えば、​戦いが​要求される。​本気の​戦い、​人と​人との、​つまり​古い​人と​神の​人との​戦い、​小さな​こと​一つ​ひとつの​戦いを​脇目も​ふらずに​続けなければならないのだ。

  試練が​あまりにも​厳しい​ことは​否定しない。​〈不本意ながらも​〉坂道を​上るように​進まねばならないからである。

​ どう​いう​勧めを​あげようか。​〈すべては​善の​ために​〉と​繰り返しなさい。​すべて​起こる​こと、​〈私に​起こる​こと​すべて​〉は​私の​役に​立つ。​だから、​難しい​ことだが、​快く、​それを​受け入れなさい。​これこそ的確な​結論である。

  ​今日では、​男も​女も、​善い人であるだけでは​十分ではない。​それだけでなく、​善人である​ことだけで​満足している​人は​十分に​善いとは​言えない。​〈革命家〉に​ならねばならないのである。

​ キリストは、​私たちを​取り巻く​快楽主義や​唯物主義、​異教的な​雰囲気に​対して、​妥協を​拒否する​愛の​反逆者を​お望みなのである。

 ​ 聖性。​本当に​聖性に​達したいと​いう​熱意が​あるのなら、​息抜きも​休憩も​すべきではない。

  主が​献身や​正しい​振る​舞いに​ついて​お話しに​なったのは、​それが​苦に​ならない​人や、​それが​できるよう​戦う​必要の​ない​人の​ためであったかのように​考え、​自分には​関係ないかのような​生き方を​して​一生を​過ごす人が​いる。

​ 天の​国は​力で​奪い​取って​手に​入れる、​各瞬間の​聖なる​戦いに​よって​獲得する​ものであると​イエスが​仰せられたのは、​すべての​人に​対してであった​ことを​忘れているのである。

  大勢の​人は、​なんと​改革に​熱心である​ことか。

​ 命じられた​ことを​忠実に​果た​すため、​私たち皆が​一人​ひとり、​自らを​改革した方が​よいのではなかろうか。

  あなたは​誘惑に​浸り、​自らを​危険に​陥れ、​目と​想像を​玩び、​馬鹿げた​お喋りを​する。​その後で、​疑いと​小心、​当惑、​悲しみ、​落胆に​襲われて驚く。

​ 首尾一貫した​態度がとれていないと​言われても​仕方​ないだろう。

 ​ 初めの​熱意に​続いて、​動揺、​ためらい、​恐れが​やってきた。​勉強、​家族、​経済的問題、​そして​特に、​私には​できない、​役に​立つまい、​人生経験が​不足している、と​心配に​なる。

​ それは​悪魔の​誘惑か、​物惜しみする​心が​強いためかなのだが、​とにかく​そのような​恐れを​克服する​確かな​方​法を​教えよう。​それは​〈無視する​こと〉、​そのような​考え方を​忘れてしまう​ことだ。​すでに​二十世紀も​昔、​師キリストが​「後ろを​振り向いてはいけない」とはっきり仰せに​なったではないか。

  罪への​本当の​嫌悪感を​心の​中に​育てなければならない。​主よ、​もう​決してあなたを​侮辱する​ことがありませんようにと​痛悔の​心で​繰り返しなさい。

​ しかし、​哀れな肉体と​人間と​しての​情念の​重荷を​感じても​驚かないように。​今頃、​〈そういう​もの​〉の​存在に​気づくなんて、​愚かで​無邪気な​子供ではないか。​あなたの​惨めさは​障害ではなく、​もっと​神に​一致する​ため、​絶えず神を​探し求める​ための​刺激である。​神は​私たちを​清めてくださるのだから。

  あなたの​想像が​自分中心に​飛びまわり、​たいていの​場合、​あなたの道に​ふさわ​しくないばかりか、​愚かにも​あなたの心を​逸らせ、​冷たくし、​神の​現存から​引き離すような​妄想の​世界や​構想を​築き上げる。​虚栄心である。

​ 想像が​他人を​巻き込むと、​そんな​使命は​ないのに、​いとも​簡単に​他人を​裁く

と​いう​欠点に​陥ったり、​他人の​振る​舞いに​いやしくも​客観的でない​解釈を​下したりする。​邪推である。

​ 想像が​あなた​自身の​才能や​ものの​言い方、​あるいは​人々を​感嘆させる​事柄に​及んで​飛びまわると、​正しい​意向を​失い、​高慢心を​助長する​危険に​陥る。

​ 一般に、​想像を​解き放つと​時間の​浪費に​なるが、​それだけではなく、​想像を​抑えないと​自らすすんで​一連の​誘惑への​道を​開いてしまうことになる。

​ 内的節欲は​一日たりとも​疎かに​してはならない。

  しっかりと​道を​歩んでいる​ことを​確かめる​ために、​誘惑に​耐えてみるべきだと​考える​ほど、​単純な​馬鹿に​なってはならない。​そんな​ことは、​生きたいと​いう​ことを​示すために​心臓が​止まってくれれば、と​望むのと​同じではないか。

  誘惑と​話し合ってはならない。​重ねて​言わせて​ほしい。​勇気を​出して​逃げなさい。​どこまでなら​大丈夫だろうと​考えて、​あなたの​弱さと​戯れるような​ことを​してはならない。​強くなりなさい。​すぐに​止めなさい、​譲歩せずに。

  言い訳の​余地は​ない。​悪いのは​あなたなのだ。​そのような​読書、​そのような​友人、​つまり、​その​道を​進めば​絶壁から​落ちる​危険が​あるのが​分かっていながら、​十分に​分かっていながら、​なぜ、​頑固にも、​ひょっとしたら​形成を​速め、​人格を​円熟させるのに​役立つかもしれないなどと​考えるのだろう。

​ た​とえ、​もっと​努力が​要求され、​手の​届く​ところに​ある​楽しみが​少なくなると​しても、​計画を​根本から​見直しなさい。​そろそろ責任ある​人に​ふさわしい​振る​舞いを​する​ときなのだ。

  故意の​小罪を​避けようとしない​多数の​男女の​自覚の​なさが、​ひどく​主を​苦しめる。​誰もが​こんな​過ちを​犯している、​これが​普通だ、​と​考え、​そして​正当化するからだ。

​ よく​聞きなさい。​キリストを​刑に​処し、​死に​至らしめた​あの​群衆の​大部​分も、​他の​連中と​同じように、​初めは​叫び声を​あげ、​皆と​一緒に​オリーブの​園へ​駆けつけただけだった。

​ そして、​〈皆​〉が​している​ことに​巻き込まれて、​後戻りできなかったのか、​戻りたくなかったのか、​結局は、​イエスを​十字架に​つけてしまった。

​ 二十世紀を​経た​今も​私たちは​何も​学んでいない。

  浮き沈み。​あなたには​浮き沈みが​多すぎる。​理由は​明らかである。​これまであなたは​楽な​生活を​送ってきた。​そして、​自らを​与えようと​〈望む〉だけの​状態から、​実際に​〈自らを​与える​〉に​至るまでには、​かなりの​距離が​ある​ことを​認めたくないのだ。

  遅かれ早かれ、​自らの​歴然たる​惨めさに​気が​つくだろうから、​いく​つかの​誘惑に​ついて、​あらかじめ警告して​おきたい。​悪魔は​次のような​考えを​ほの​めかすだろう。​すなわち、​神は​あなたの​ことを​忘れられた、​あなたが​使徒職に​召されたのは​無駄な​ことだ、​世の​苦しみと​罪の​重さは​使徒と​しての​あなたの力を​超えている、と。​すぐに​それらを​拒みなさい。

​ いずれも​嘘なの​だから。

  本当に​戦うつもりなら、​良心の​糾明を​しなければならない。

​ 毎日の​糾明を​大切に​しなさい。​主との​接し方の​拙さに​気づいた​とき、​〈愛〉ゆえに​痛みを​感じるか​どうか​調べるのだ。

  大勢の​人が​〈礎石〉を​置く​定礎式に​駆けつけても、​そのように​して​始めた​仕事が​最後まで​完成するか​どうかに​ついては​無関心である。​それと​同じように、​罪人は、​これが​〈最後〉、​これで​〈終わり〉、と​いう​思いに​欺かれる。

  ​何かを​〈止める​〉とき、​忘れてならない​ことがある。​それは、​これが​〈最後〉と​いうのは​その前の​とき、​つまり、​すでに​過ぎ去った​あの​ときの​ことだと​いう​ことである。

  あなたに​勧めたいことがある。​頑張って、​あなたの​〈最初の​回心〉の​ときに​戻ってみなさい。​それは、​子供のようにならないまでも、​子供に​かなり​似る​ことである。​霊的生活に​おいては、​恐れも​二心も​持たず、​全幅の​信頼を​寄せて、​導きに​任せなければならない。​頭と​心に​ある​ことを​包み隠さずは​っきりと​話さなければならないのである。

  手段を​講じないで、​どうして​その​生温さ、​嘆かわしい​倦怠状態から​抜け出せると​いうのか。​あなたは​あまり​戦わない。​戦いは​しても、​腹立ちまぎれか​煩わしさに​負けてか、​あなたの​わずかな​努力が​効果を​上げないよう、​また、​自己を​正当化できるよう​望みながら​戦っている​みたいだ。​すなわち、​あなたは​自らに​強く​要求せず、​また​他人からも​要求されたくないと​考えているのである。

​ 自分の​意志は​果たしているが、​神のみ​旨は​果たしていないのだ。​本気に​なって​変わらない​限り、​幸せに​なれないし、​今あなたに​欠けている​平安を​得る​こともないだろう。

​ 神に​対して​謙遜に​なりなさい。​そして、​本当に​神を​愛する​努力を​しなさい。

  なんと​いう​時間の​浪費、​また、​なんと​いう​薄っぺらで​人間臭い​見方を​する​ことか。​それが​効果を​あげる​秘訣であるかのように、​すべてを​戦術に​帰する​なんて。

​ 神の​〈戦術〉とは、​愛徳、​限りない​神への​愛である​ことを、​皆が​忘れている。​人間が​罪に​よって​天と​地との​間に​開けた​埋め尽くせない​距離を、​神は​愛に​よって​埋めてくださったのである。

  良心の​糾明の​ときには、​〈野蛮的〉と​言える​ほど​誠実に​なりなさい。​勇気を​出しなさい。​鏡の​中の​自分を​見て、​どこに​傷が​あるのか、​取り除くべき​汚れが​どこに​あるか、​どこが​欠点なのかを​捜すのと​同じように。

  〈アクマ〉。​漢字で​書く​値打ちは​ないので​カタカナで​書くが、​その​アクマの​ずるさに​注意せよと​言っておこう。​アクマは、​普通の​状況を​利用して、​私たちを​神の​道から​少しだけ、​あるいは​思い切り逸らせようと​するからである。

​ 戦うなら、​本気に​なって​戦うなら、​〈流れに​逆らって​歩まねばならない​〉ときや、​疲れに​襲われて​人間的にも​霊的にも​慰めの​ない​ときが​あるから、​驚かないように。​以前、​誰かが​書き寄越した​ものを​書き写そう。​無邪気にも、​恩恵は​自然を​排すると​考える​人の​ために​残しておいたのである。​「神父様、​ここ数日、​生活プランを​果た​そうにも​怠惰と​無力感に​襲われて​困っています。​何を​するにしても​厭々ながら​無理に​しています。​この​危機が​早く​過ぎ去るよう​お祈りください。​道から​逸れるのではないかと​恐れ、​大変に​苦しんでいます」。

​ 私は​次のように​答えておいた。​愛は​犠牲を​要求する​ことを​知らなかったのか。​師イエスの​言葉を​ゆっくりと​読みなさい。​「〈日々〉、​毎日、​自分の​十字架を​背負わない​人は、​わたしに​ふさわ​しくない」。​聖書の​もう​少し​先には​こう​書いてある。​「わたしは​あなたたちを​孤児に​は​しておかない」。​あなたには​辛いことだが、​主が​あなたを​そのような​無味乾燥の​状態に​置かれたのだ。​あなたが、​もっと​主を​愛し、​主のみに​信頼を​おき、​十字架を​背負って​贖いの​協力者と​なり、​十字架に​出会う​ために。

  悪魔は​あまり​賢くないようだ、​と​あなたは​言っていた。​あの​馬鹿さ加減が​分からない、​いつも​同じ嘘、​同じ​偽り…だ、と。

​ あなたの​言う​通りだ。​しかし、​人間は​もっと​愚かだから、​いつまで​たっても、​それを​他山の​石としない…。​悪魔は​そういう​ことを​みな​計算の​上で​誘惑するのである。

  ある​とき耳に​した​ことだが、​大きな​会戦の​とき、​いつも​繰り返される​奇妙な​現象が​あるらしい。​兵隊の​数と​手段から​見て、​最初から​勝利が​保証されているのに、​いざ戦いと​なると、​弱い​戦区が​現れ、​敗戦の​恐れの​出てくることがあると​言うのだ。​そんな​ときには、​上から​きっぱりと​した​命令が​下り、​弱い​前線を​補強する。

​ あなたと​私の​ことを​考えた。​戦いに​敗れる​ことの​ない​神と​一緒なら、​私たちは​いつも​勝利者である、と。​だから、​聖人に​なる​ための​戦いに​おいて​力が​ないと​感じたら、​命令に​耳を​傾け、​それを​実行に​移しなさい。​助けを​受け入れるのだ。​神に​失敗は​ないの​だから。

  あなたは​誠実正直に​心を​開き、​神の​現存を​保ちつつ、​指導者と​話した。​そして​素晴らしい​ことに、​あなたの​逃げ口上に​対して​自分で​適切な​答えを​見つけている​ことに​気づいた。

​ 霊的指導を​愛そう。

  あなたが​適切な​振る​舞いを​している​ことは​認めよう。​ところで、​はっきりと​言わせて​もらいたい。​そんなのろのろした​歩み方​―そうだと​認めなさい​―を​しているなら、​完全に​幸せであるとは​言えないだけでなく、​聖性からも​程遠いと​言わなければならない。

​ ​そこで、​本当に​品位ある​振る​舞いを​しているのかと​あなたに​尋ねたい。​ひょっと​すれば、​見当違いな​品位を​考えているのではなかろうか。

  内的にも​外的にも​軽薄な​態度、​誘惑に​対しても​あや​ふやで、​やる​気が​あるのかないのか​明らかでない​状態、​そのような​愚かな​振る​舞いを​しているようなら、​内的生活に​進歩する​ことなど​不可能である。

  いつも​思う​ことだが、​大勢の​人は、​恩恵に​抵抗する​ことを​〈明日〉とか​〈後で​〉とか​呼ぶ。

  霊的な​道の​もう​一つの​逆説。​行いに​わずかの​改善の​必要しかない​人は、​一所​懸命に​直す努力を​し、​実現するまで​手を​緩めない。​そして、​その逆を​する​人も​ある。

  あなたは​振る​舞いの​元を​突きとめないから、​時々〈問題〉を​作り出してしまう。

​ たった​一つ​あなたに​必要な​こと、​それは​決然と​して​戦いの​対象を​変える​ことである。​すなわち、​忠実に​義務を​果たし、​霊的指導に​おいて​与えられた​指示を​誠実に​果たす​こと。

  あなたは、​聖人に​ならなければならないと​いう​〈固定観念〉を​以前にも​増して、​強く​差し迫って​感じた。​ブルジョワ化の​兆候ならなんであれ、​勇敢に​切り捨てなければならないと​確信し、​ためらわずに​日々の​戦いに​赴いたのだった。

​ 後に​なって​祈りの​うちに​主と​話し合っている​とき、​戦いとは​〈愛〉の​同義語である​ことが​以前にも​増してはっきりと​分かった。​キリストに​よって、​キリストと​共に、​キリストの​うちに​戦うのであるから。​待ち受ける​戦闘に​恐れを​抱く​ことなく、​もっと​大きな​愛を​主に​お願い​したのである。

  こんがらがっている?​ …​正直誠実に​なりなさい。​そして、​神あるいは​あの​人に​仕えるよりも​利己主義の​奴隷に​なりたいのだと​白状しなさい。​そうだと​認めなさい。

  ​「試みを​耐え忍ぶ人は​幸いである…」。​試みを​受けた後で​〈生命〉の​冠を​受けるからである。

​ ​その​内的スポーツが​尽きる​ことの​ない​平安の​源である​ことを​確認すると、​喜びに​満たされるのではないだろうか。

  〈今、​始める〉。​これは、​神を​愛する​人の​叫びである。​各瞬間に、​忠実を​保ち得た​ときも、​物惜しみする​心に​負けた​ときも、​神に​完全な​忠誠心を​もって​仕える​―愛する​―望みを​新たに​する​人の​叫びである。

  あなたの​求めているのは、​改心ではなくて、​自分の​欠点を​大切に​しまっておく​箱だ。​そうして、​苦い​後味が​残るとは​いえ、​その​哀しい​重荷を​引きずりながらも​安楽な​生き方を​続けている。​こう​言われて、​あなたの心は​痛んだ。

  自分を​捕えているのが​身体の​衰弱なのか、​精神的な​疲労なのか、​あるいは​その​両方なのか、​あなたには​分からない。​戦っては​いるが、​本当の​戦いではなく、​キリストの​喜びと​愛を​人々に​〈移す​〉ために、​心底から​良くなろうと​いう​熱意も​ない。

​ 聖霊が​仰せに​なる​明白な​言葉を​思い出して​ほしい。​「規則に​従って」、​すなわち、​何が​あっても​本当に​戦う​人だけが、​勝利の​冠を​得るのである。

  もっと​良い​行いを​し、​もっと​決然とした​態度を​とり、​もっと​熱意を​表に​表すことができるはずなのに​何故そうしないのだろうかと、​あなたは​自問している。

​ 率直に​言わせて​もらえば、​それは、​あなたが​愚かだからだ。​悪魔は、​数ある​心の​扉の​うちで​最も​守りの​弱いのが​人の​愚かさ加減、​つまり、​虚栄心である​ことを​十分以上に​知っている。​だから、​今その​あたりを、​全力を​あげて​攻撃しているのだ。​感傷的な​思い出に​浸っている​ときや、​ヒステリックな​見方を​して​継子扱いされていると​考えてしまう​とき、​自由が​ないと​勝手に​思い込んでしまう​ときなどを​狙って​襲ってくるのである。

​ いつに​なったら、​「警戒して​祈れ、​あなたたちは​…​知らないの​だから」と​いう​イエスの​金言を​理解するのだろうか。

  あなたは​虚勢を​張りつつも​自信なさそうに​私に​言った。​昇る​人も​あり、​降りる​人も​あり、​私のように​道端で​坐り​こんでしまう​人間も​いる、と。

​ あなたの​無感覚を​見て​悲しくなったので、​私は​言った。​昇る​人は​怠け者を​引っぱって​行くが、​普通は​降りる​人の​ほうが​強く​引っぱる​ものだ、と。​痛ましい​邪道を​自分で​探し求めている​ことが​分からないのか。

​ すでに、​ヒポナの​聖なる​司教が​言ったではないか。​前進しない​者は​後退する、と。

  あなたには、​上手く​噛み合わない​二つの​部分、​すなわち頭と​感情が​ある。

​ 信仰に​照らされた​知性は、​道を​示してくれるだけでなく、​その​道を​英雄的に​歩むか、​愚かな​歩み方を​するか、​この​両者の​間の​大きな​違いを​も教えてくれる。​特に、​三位一体の​神が​私たちの​手に​お任せに​なった​事業の、​神的な​偉大さと​美しさを​見せてくれる。

​ それに​引き替え、​感情は、​あなたが​軽蔑する​もの​すべて、​いま現に​軽蔑している​ものに​さえ執着する。​無数の​小さな​事柄が​機会を​狙っているようだ。​そして、​体の​疲れからか、​超自然的な​見方を​失った​ためか、​あなたの​意志が​弱まった​と​みる​や​否や、​それら​小さな​事柄が​押し寄せてきて、​あなたの​想像を​かきたて、​ついには、​山と​なってあなたを​苦しめ、​落胆させる。​仕事の​辛さ、​従順への​抵抗、​手段の​不足、​夢に​見る​楽な​生活、​大小さまざまな​忌むべき誘惑、​めそめそした​感情の​疼き、​疲れ、​霊的な​生温さが​もたら​す苦しみなど。​そして、​時には​恐れ、​すなわち、​聖人に​なれと​神が​お望みなのに​そうは​なっていない​ことから​来る​恐れも。

​ 厳しい​言い方だが​許して​ほしい。​あなたには​後戻りする​〈動機〉が​掃いて​捨てる​ほど​あるが、​神の​お与えに​なる​恩恵に​応える​大胆さが​不足している。​もう​一人の​キリスト、​〈同じ​キリスト〉と​なるよう召されていると​いうのに。​あなたは​使徒聖パウロに​対する​師の​訓戒を​忘れているのだ。​「あなたには​わたしの​恩恵で​足りる」。​これは、​望みさえ​すれば​あなたにも​できると​いう​ことの​確認である。

  盗んだり殺したりさえしなければ​ぼちぼちやっていれば​よいと​考え、​自分を​善人だと​信じ、​自分​自身に​満足し、​安心しきって​浪費してしまった​時間を​取り戻しなさい。

​ まだまだ道は​長いの​だから、​信心と​仕事の​歩みを​速めなさい。​あなたに​とって​煩わしい​人々を​含め、​皆と​仲よく​生活し、​以前​あなたが​蔑んでいた​人々に​愛を​示す―仕える​―努力を​しなさい。

  告解の​とき過去の​―膿だらけの​―惨めさを​さらけだした。​そして、​司祭は​誠実な​医者の​ごとく、​名医の​ごとく、​あなたの​霊魂を​治療した。​必要な​ところは​切除し、​完全に​消毒が​終わるまでは​傷口を​閉じなかった。​感謝しなさい。

  真剣に​なって​取り組むべきことも、​スポーツマン精神で​始めれば​すこぶる​良い​結果が​出る。​いく​つかの​局面で​負けてしまった。​仕方が​ない、​しかし、​堅忍すれば​最後には​勝てるだろう。

  改心しなさい、​まだ​若いと​感じている​今の​うちに。​心が​歳を​とってから​改めるのは、​大変難しい​ものだから。

  〈幸いなる​罪〉と​教会は​歌う。​失敗を​繰り返さないために​役に​立ったのなら、​また、​あなたに​勝るとも​劣らぬ隣人を​もっと​よく​理解し助ける​ために​役に​立ったのなら、​再びあなたの耳に​囁いてあげよう、​幸いなるかな、​あなたの罪は。

  誘惑を​拒絶した後であなたは​尋ねた。​主よ、​私が​…​そのように​悪い​人間だなんて​ことがあるのでしょうか。

  あなたの​診療〈カルテ〉を​要約すると、​ここで​倒れ、​あ​そこで​立ち​上がった、となる。​この​二番目が​大切なのだ。​たとえ亀のようなのろのろ​歩きであっても、​あなたは​その​内的な​戦いを​続けなさい。​さあ、​前進するのだ。

​ わが​子よ、​戦わなければ​どこまで​落ち込むか、​よく​分かっているだろう。​淵は​淵を​呼ぶのだ。

  あなたは、​神と​他人の​前で、​自分の​ことを​恥ずかしく​思う。​古い​汚れが​また姿を​現してきたからだ。​本能と​悪い​傾きは、​こと​ごとく​敏感に​感じられ、​心に​不安の​雲が​垂れこめる。​しかも、​望みも​せず予想もしない​とき、​疲れて​意志が​ふらつ​いている​ときに​限って、​誘惑が​襲ってくる。

​ ​そのような​自分の​姿を​見ると​やりきれないが、​自分が​謙遜か​どうかは​分からない、と​あなたは​言う。​しかし、​神の​ため、​主の​愛ゆえに​痛みを​感じているのなら、​その​愛から​生まれた​痛悔の​おかげで、​警戒心を​緩める​ことは​ないだろう。​戦いは​一生続くからである。

  あの​時の​奉献に​再び封印したい、​神の​子である​自分を​自覚し、​神の​子に​ふさわしい​生き方を​すると​いう​あの​決心を、と​あなたは​強く​望んでいる。

​ あなたの​数多い​惨めさと​不忠実を​神の​手に​委ねなさい。​それが​重荷を​軽く​する​ための​唯一の​方法である。

  刷新とは​緩和する​ことではない。

  黙想会。​それは、​神を​知り、​あなたを​知り、​進歩する​ための​潜心の​ときである。​どの​点で、​どのように​して​自らを​改めるべきか、​すなわち、​何を​すべきで​何を​避けるべきかを​見つける​ために​必要な​日々である。

去年と​同じ​ことは、​二度と​繰り返さないように。

​ ​「黙想会は​どうだった」と​尋ねられた​あなたは、​「ゆっくり​休ん​できた」と​答えたのだった。

  沈黙と​恩恵の​溢れる​日々、​一対一で​神と​語り合う​日々。

​ あの​人たちを​見て、​感謝の​祈りが​ほとばしり出た。​神が​心の​扉を​叩かれると、​年齢や​経験から​見て​重厚な​あの​人た​ちが、​まだまだ​役に​立つ生き方が​でき、​また​道に​迷った​過去や​怠りを​消すことができると​知って​夢中に​なり、​子供のように​心を​開いて​応えたからである。

​ 私は​あの​場面を​思いつつ信心生活を​送るに​あたり、​戦いを​怠らぬようにと​あなたに​懇願した。

  〈キリスト信者の​助け〉。​確信して​連祷を​唱えなさい。​困難に​襲われた​とき、​試しに​この​射祷を​唱えたことがあるだろうか。​子供のような​愛情と​信頼の​心で​唱えるなら、​勝利に​導く​聖母マリアの​執り成しの​効果が​よく​分かるだろう。

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