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神と​人に​対する​正義

まず、​神に​対する​正義を​しっかりと​心に​刻みつけ、​それを​行いに​表すよう​努めましょう。​嫉妬や​恨み、​利己主義や​貧欲に​満ちた​人々の​<正義、​正義>と​いう​呻き声と、​本当の​「義に​飢え渇く​人」​23との​違いを​区別する​試金石は、​神に​対する​正義です。​創造主で​あり贖い主である​御方から、​あり余る​ほど​豊かな​宝を​受けていながら​感謝の​意を​示さないと​すれば、​それこそ​正義にもとる​忘恩と​言えます。​真に​正義にかなう​人に​なるよう​努めているのなら、​「あなたの​持っている​もので、​いただかなかった​ものが​あるでしょうか」​24と​言われるように、​幾度と​なく、​神に​依存しきっている​自らの​状態を​考える​ことでしょう。​すると、​心は​感謝に​溢れ、​ゆきすぎと​思える​ほど​私たちを​愛してくださる​神に、​なんとか​して​応えたいと​いう​望みが​湧いてきます。

​ そうして、​孝愛心は​息づき、​神との​心と​心の​触れ合いが​始まります。​私たちに​そこまで​要求する​権利が​主に​あるのだろうかと、​偽善者たちが​疑いを​吹き込んでくることが​あるかもしれません。​そんな​時は​欺かれないように​注意して、​「陶工の​手中に​ある​粘土のように」25素直に、​すべてを​おいて​神のみ​前に​控え、​頭を​垂れて信仰を​告白してください。​「わが​主、​わが​すべてよ」と。​たとえ、​不意の​災いに​見舞われ、​不当な​迫害に​襲われても、​新たな​喜びに​満たされて​歌う​ことができるでしょう。​「神の​いと​正しく、​いと​愛すべきみ旨は、​万事に​越えて​行われ、​全う​され、​賛美され、​永遠に​称えられますように。​アーメン、​アーメン」と。

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