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「キリストは​わたしたちを​自由の​身に​してくださった」​30のですから、​私たちには​すべての​人々の​自由を​守る​義務が​あります。​他人の​権利を​尊重しないで、​どうして​自分の​自由を​主張する​ことができるでしょうか。​真理も​私たちが​広めるべき事柄です。​「真理は​あなたたちを​自由に​する」​31と​仰せられたからです。​無知は​隷属を​強いる​ことになります。​すべての​人の​生きる​権利、​人と​しての​尊厳を​保つために​必要な​ものを​所有する​権利、​働き休息する​権利、​身分を​選ぶ権利、​家庭を​つくり、​結婚​生活に​おいて​子供を​もうけ、​子供に​教育を​与える​権利、​病気の​時や​老齢期を​安らかに​過ごす権利、​文化・教養を​身に​つける​権利、​合法的な​目的の​ために​グループを​つくる​権利、​そして、​正しい​良心が​あれば​万物の​中に​神の​足跡を​見つけ得るわけですから、​何よりも​まず、​全く​自由に、​神を​知り、​神を​愛する​権利を​擁護しなければなりません。

​ 正に​このような​理由から、​マルクス主義は​キリスト教の​信仰と​両立し得ない、と​繰り返さなければならないのです。​こうは​言っても、​私は​政治に​首を​突っ込んでいるわけではなく、​教会の​教えを​述べているだけです。​人々の​心から、​愛に​溢れた​神の​現存を​消し去る​こと、​これを​基盤に​するような​主義主張ほど​信仰に​反する​ものが​あるでしょうか。​正義を​行う​ために​マルクス主義など​必要は​ないと、​誰の​耳にも​届く​よう​大声で​叫ばなければなりません。​重大な​誤謬である​マルクス主義は、​単に​唯物的な​考え方に​基づいた​解決法しか​取らず、​平和の​神を​無視するわけですから、​人々の​幸せと​相互理解を​妨げてしまうのです。​キリスト教には、​常に​あらゆる​問題解決に​役立つ光が​あります。​「言葉や​口先だけではなく、​行いを​もって​誠実に」32カトリック者たらんと​努めさえ​すれば​よいのです。​この​点を、​機会が​訪れる​毎に、​時には​機会を​求めて、​恐れず​人々に​告げ知らせましょう。

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