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キリスト教の​徳は​もっと​高い​ところを​目指します。​すぐに​感謝の​心を​表し、​親切で​寛大、​順境に​あっても​逆境に​あっても​常に​忠実で​誠実な友であり、​法を​遵守し正当な​権威を​尊重し、​問題に​対処するに​当たって​自分の​非を​悟れば、​すすんで​直ちに​改めます。​そして​正義の​人であるなら、​何よりも、​職業、​家族関係、​社会関係から​生ずる​約束を​しっかりと​守ります。​大げさに​触れまわる​ことなく​身を​入れて​働き、​義務でもある​権利の​行使を、​決しておろそかに​しないはずです。

​ 怠け者が​正義を​口に​しても、​信じる​わけには​ゆきません。​愛する​イタリアの​表現を​借りれば​「楽しい​物臭さ」とでも​呼べそうな​生き方を​し、​仕事もしないわけですから、​公正の​基本原則を​時には​ひどく​欠く​ことに​なるからです。​神は​「耕し、​守らせる」​2​8ために​私たちを​お造りに​なりました。​人々も​家族の​者たちも、​私も、​人類も、​つまる​ところ、​私た​ちがいかに​効果的に​働くかに​かかっているのです。​正義とは​単に​物的な​富を​分配する​ことであると​考えるような、​情けない​正義観念は​もたないようにしましょう。

聖書への参照
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