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喩え話に​登場する​一万タラントンの​負債を​抱えた召使い26の​状態は、​神のみ​前に​おける​私たちの​状態を​見事に​映し出しています。​私たちの​場合も、​寛大な​神から​受けた​莫大な​借り、​さらに​罪を​犯す毎に​増やしてきた​負債を​返すすべとてありません。​いくら​大胆に​頑張ってみた​ところで、​主が​赦してくださっただけの​額を​返済する​ことは​できないのです。​けれども、​私たちが​正義の​枡を​満たせない​ときは、​それにもまして​神が​慈しみで​埋め合わせを​してくださる。​神は​満足して​私たちの​負債を​帳消しに​してくださいます。​神は​恵み深く、​その​慈しみは​とこしえ27なのです。

​ お分かりのように、​喩え話の​始めと​終わりは​全く​対照的です。​莫大な​借金を​帳消しに​して​もらったばかりの​あの​召使いは、​たった​百デナリオンの​債務者を​憐れもうともしませんでした。​ここに​至って​召使いの​狭い​心が​明らかに​なります。​道理から​言えば、​貸金の​取り立てを​して​悪いわけでは​ありません。​それにも​かかわらず、​何かしっくりこない。​これほど​不寛容な​態度は​本当の​正義ではないと、​私たちには​思えるのです。​つい​先ほど​好意と​理解に​満ちた​憐れみを​示して​もらったばかりの​人が、​自分の​債務者に​向かって​ほんの​わずかの​辛抱さえできないと​いうのは、​どう​考えても​正義にかなうとは​言えません。​正義とは、​権利と​義務とを​杓子定規に​適用する​ことではないし、​算数のように​引き算や​足し算で​解決できる​ものでもないのです。

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