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正義と、​自由と​真理への​愛

福音書の​言い方に​倣うと、​私が​「聞く​耳」​29を​もつようになった​とき、​つまり​物心が​ついた​頃には、​すでに​社会問題と​いう​言葉が​叫ばれていました。​と​言っても、​別に​どうこう​言う​ほどではなく、​ずいぶん​昔から​あったのです。​たぶん、​人間が​何らかの​組織作りを​始める​ことに​よって、​年齢、​知能、​仕事能力、​興味や​関心、​個性などの​相違が​目に​見えてはっきりしてきた​ときに​生じたのでしょう。

​ 社会階級が​どうしても​避けられない​ものなのかどうか​私には​分かりませんが、​いずれに​しても、​この​件に​ついて​話すのは​私の​役目では​ありませんし、​まして、​聖堂に​居るのは、​神に​ついて、​また神と​語り合う​ためですから、​この​件に​ついて​ここで​話そうとは​思っていません。​いずれに​せよ、​神以外に​ついては、​話すつもりも​ありません。

​ 皆さんは、​摂理に​よって​自由で​合法的な​討論に​任せられている​諸問題に​ついて​好きなように​考えてください。​私は​キリストの​司祭ですから、​さらに​高い​見地から​物事を​眺め、​常に​正義を​行う​義務、​また​必要なら、​英雄的な​行為が​要求されても​正義を​行うべきことを​お話ししなければならないと​考えています。

聖書への参照
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