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いま自分のいるところで、<警戒心>を解いてはいけないと、主はお勧めになります。この勧めを知ったからには、心を聖性への希望で満たし、さらに行いに表さなければなりません。「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ」12と、神は耳もとで囁いておられます。砂上の楼閣を築くようなことは止めて、きっぱりとした態度で心を神に打ち明けなさい。希望を固く保ち、隣人に善を施そうとすれば、主を基盤にするほかに方法はありません。自分自身と戦わないなら、高慢、嫉妬、目と肉の欲、自己満足、放縦への醜いまでの飢えなど、心に巣食う敵を徹底的に追放しないなら、つまり、内的戦いを続けないならば、いかに高潔な理想とは言え、「草花のように滅び去るからです。日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまう」13ことでしょう。そうなると、ほんのわずかの隙間からでも、落胆と悲しさが毒草のように芽を吹き出します。

 イエスは、曖昧な返事では満足なさらない。毅然として一歩も譲ることなく困難に立ち向かえと要求される。また、そのように要求する権利をもっておられ、断固とした具体的な歩みを求められます。漠然とした決心など役に立ちません。決心も具体的でないなら、ごまかしの夢であって、心に感じる神の呼びかけを無視することになってしまう。そのような決心は、熱も光も伝えず、灯った途端に儚くも消え去る鬼火のようなものです。

 というわけで、決然とした歩みを見せない限り、あなたの決心が真剣なものであるとは思えません。日常の仕事に対する態度をたびたび振り返り、善を行い続けなさい。疲労困憊して体が折れるように感じるときにも、自分を取り巻く環境のなかで正義を実行してください。周囲の人々に幸せをもたらすことのできるよう、職場で喜びをふりまき、仕事をよりよく仕上げる努力を続け、理解と微笑み、言い換えれば、キリスト者にふさわしい態度を示す。これらすべてを、神のため、神の栄光を考え、顔を天に向けて、最終的な祖国を熱望しながら、果たしてください。最終的な祖国こそ、総力をあげて向かうにふさわしい目標ですから。

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