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希望の​徳、​それは​全能の​神が​摂理を​もって​私たちを​導き、​必要な​手段を​お与えに​なる​ことを​確信する​ことです。​希望の​徳が​あれば、​神が​絶えず優しく​接してくださる​ことも​分かるでしょう。​主は​聞いてあげようと​常に​待ちかまえておられ、​決してお疲れに​なりません。​あなたの​喜びと​成功、​愛と​困難、​苦しみと​失敗の​一つ​ひとつが​主の​関心の​的なのです。​ですから、​つまずいた​時だけ主に​望みを​かけるような​ことを​せず、​順境に​あっても​逆境に​あっても、​天の​御父のもとに​駆け寄って、​主の​慈しみ深い​保護に​すべてを​委ねてください。​無に​等しい​自分を​知れば、​つまり、​少しでも​謙遜に​なれば、​無数の​零の​集まりである​自分の​姿を​簡単に​認める​ことができ、​やがては​不落の​砦のような​堅固さを​身に​つける​ことでしょう。​私と​いう​無数の​零の​左に​キリストが​いてくだされば、​巨大な​数字に​なるからです。​「主は​わたしの​命の​砦、​わたしは​誰の​前に​おのの​くことがあろう」26。

​ すべての​ものの​裏に​神の​助けを​見てとってください。​常に​私たちを​見つめ、​守っていてくださいます。​また​当然ながら、​この​世で​自分に​与えられた​場を​捨てる​ことなく、​忠実に​主に​付き従えと​要求されている​ことを​知って​欲しいのです。​付き添ってくださる​神を​見失わないためにも、​戦いを​軽んじる​ことなく​注意深く​警戒して​進まねばなりません。

聖書への参照
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