214

弱さと​赦し

主が​すぐ​近くまで​来てくださったので、​私たちは​皆、​高尚な​ものへの​飢えを​感じ、​高みに​上りたい、​善を​行いたい、と​強く​あこがれる。​私が​今あなたの心に​ある​このような​望みを​煽るのは、​神の​働きかけに​信頼して​欲しいからです。​神の​働きを​妨げない​限り、​今いる​場所で、​思いも​よら​ぬ働きのできる​良い​道具に​なりうる。​臆病風に​吹かれて神の​信頼を​裏切らないためにも、​キリスト者の​人生に​つきものの​障害を​愚かにも​軽く​見たり、​う​ぬぼれに​負けたりしないよう、​くれぐれも​気を​つけてください。

​ 堕落した本性を​もつ​私たちは、​恩寵に​反抗し抵抗しが​ちだが、​驚くには​あたらない。​この​原罪が​残した​傷跡は、​自罪を​犯すたびに​炎症を​起こしてしまう。​このような​状態から​抜け出さなければなりません。​神的であると​同時に、​人間的な​日々の​努力を​続けて、​神への​愛を​表してください。​謙遜と​痛悔の​心で​神の​助けに​全幅の​信頼を​寄せ、​あたかも​すべては​自分​自身に​かかっているかのように​最善の​努力を​尽くすのです。

​  死の​間際まで​続く​この​戦いの​間、​内外の​敵が​激しく​攻撃を​仕掛けてくる​ことは​充分に​予想される。​それだけでも​まだ​足りないかのように、​時には​過去の​罪、​おそらくは​無数の​罪が​一度に​頭に​浮かんできて、​心を​滅入らせてしまうでしょう。​神の​名に​おいて​申します。​たとえ​そのような​時が​訪れても、​決して​絶望しては​なりません。​そういう​ことは、​必ず​起こる​わけでも、​起こるのが​普通であるわけでもありませんが、​万一そうなった​場合には、​主に​さらに​強く​一致する​機会だと​捉えましょう。​ご自分の​子供に​してくださった​主が、​あなたを​お見捨てに​なるはずが​ありません。​あなたが​より​深く​神を​愛し、​よりはっきりと​その​保護を​知る​ことができるように、​試みを​お許しに​なるだけなのです。

​ 元気を​出しなさい。​何度も​申しますが、​十字架上で​私たちを​お赦しに​なった​キリストは、​ゆる​しの​秘跡に​よって​今も​赦しを​与え続けておられます。​「たとえ罪を​犯しても、​御父のもとに​弁護者、​正しい方、​イエス・キリストが​おられます。​この​方こそ、​わたしたちの​罪、​いや、​わたしたちの​罪ばかりでなく、​全世界の​罪を​償う​生贄」​18と​なって​私たちに​勝利を​得させてくださいます。

​ 何が​起ころうとも​構わず​前進しなさい。​主の​腕に​しっかりと​掴まり、​神は​決して​戦いに​敗れない​ことを​考える。​理由が​なんであれ、​万一主から​離れてしまったのなら、​謙遜な心で​主のもとに​戻り、​再び​始めなさい。​毎日​あるいは​二十四時間中幾度も、​放蕩息子の​役柄を​演じるのです。​真に​神愛の​奇跡である​ゆる​しの​秘跡に​よって​心を​洗い​浄めなさい。​この​得も​言われぬ秘跡に​おいて、​神は​あなたの心を​清め、​戦いに​ひるむことの​ないよう、​また、​たとえ暗闇に​迷った​ときでも、​疲れに​負けず神に​立ち戻る​ために​必要な​喜びと​力を​十二分に​与えてくださいます。​そのうえ、​神の​御母で​あり​私たちの​母でもある​聖母が​母親特有の​優しい心であなたを​守り、​足下を​固めてくださいます。

この点を別の言語で