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甘美な愛の​御母

​「わたしは​ぶどうの​木のように​美しく​若枝を​出し、​花は​栄光と​富の​実を​結ぶ」​5と​いう​聖書の​言葉を​聴いたばかりです。​聖母信心の​放つ​甘美な​香りが​キリスト信者すべての​魂を​満たし、​絶えず​見守っていてくださる​御方を、より​一層深く​信頼する​ことができますように。

​ ​「わたしは​美しい​愛と​畏れとの​母、​また​知識と​清らかな​希望の​母である」6。​これが​本日、​聖マリアの​お与えに​なる​教えです。​清い愛と​清浄な​生活、​敏感で​熱烈な​心に​ついての​教えで、​どう​すれば​忠実に​教会に​仕えられるかを​教わる​ことができます。​ただの​愛ではない、​唯一の​愛。​この​愛の​ある​ところ、​裏切りなく、​打算なく、​忘却も​ない。​完全な​美、​無限の​善、​偉大さその​もの、​三重に​聖である​神だけを​始まりと​し目的と​する、​甘美な愛ですから。

​ ところで、​畏れにも​触れています。​私には​神の​愛から​離れ去る​恐れ以外の​恐れは​想像できません。​意気地なしや​小胆、​中途半端な​献身などは、​主なる​神の​お望みではない。​勇敢で​精気に​溢れ、​細やかな​心を​備えた​私たちを​必要と​しておられます。​聖書の​言う​畏れに​ついて​考えると、​聖書の​別の​嘆きを​思い出します。​「夜ごと、​ふしどに​恋い​慕う​人を​求めても、​求めても、​見つかりません」7。

​ 神を​愛するとは​どういう​ことかを​本当に​理解していないと、​こういう​ことが​起こりうる。​そんな​時、​心は​引きずられる​ままに​主から​離れ、​ついには​主を​見失う。​ある​時、​お隠れに​なるのは​主かもしれない。​しかし、​主は、​訳あって​そうなさる。​私たちが​必死に​なって​主を​捜し求め、​主を​見つけた​とき、​歓喜の​叫びを​上げる​ためです。​「恋い​慕う​人が​見つかりました。​つかまえました、​もう​離しません」8と。

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