288

ところが​今、​十字架の​犠牲の​躓きのさなか、​聖母マリアは​そこに​留まり、​「通りかかった​人々は、​頭を​振りながらイエスを​ののしる」のを​悲しみの​心で​耳に​する。​「神殿を​打ち倒し、​三日で​建てる者、​神の​子なら、​自分を​救ってみろ。​そして​十字架から​降りて​来い」26。​聖母は​御子の​言葉を​聞き、​御子の​苦しみを​自分の​苦しみとする。​「わが​神、​わが​神、​なぜわたしを​お見捨てになったのですか」27。​マリアに​何が​できたと​いうのでしょう。​贖い主である​御子の​愛に​一致して、​汚れの​ない​み心は​鋭い刃で​突き刺される。​マリアは​筆舌に​尽くしが​たい​苦痛を、​御父に​捧げる​ほかは​なかったのです。

​ 愛の​心で​ひっそりと​傍らに​佇むマリアを​見て、​イエスは​再び慰めを​感じる。​マリアは​大声を​上げたり、​気ぜわしく​動き回ったりしない。​御子の​傍らに​「立っておられる」。​イエスは​聖母に​目を​遣り、​ついで​ヨハネに​目を​向ける。​そして、​「見なさい。​あなたの母です」​28と​言われた。​ヨハネを​代表と​して​全人​類を、とりわけ主を​信じるはずであった​弟子たちを、​御母に​委ねたのです。

​ ​「幸いなる罪」​29と​教会は​歌います。​あの​罪の​おかげで、​これほど​偉大な​贖い主を​得る​ことが​できたからです。​私たちも、​幸いなる​罪よ、​と​繰り返しましょう。​マリアを​母と​して​受ける​ことができました。​もう​私た​ちが​不安に​心を​乱される​恐れは​ないのです。​天と​地の​女王と​して​冠を​いただく​聖母は、​神のみ​前で​全能の​嘆願者です。​イエスは​マリアの​願いを​拒みません。​ところで、​私たちは​聖母の​子ですから、​私たちの​願いを​拒むことも​できないのです。

この点を別の言語で