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ミサの​福音朗読は、​神殿で​教える​ために​エルサレムに​お残りに​なった​イエスの​あの​感動的な​話を​伝えています。​「マリアと​ヨセフは​(…)​一日分の​道のりを​行ってしまい、​それから、​親類や​知人の​間を​捜し回ったが、​見つから​なかったので、​捜しながらエルサレムに​引き返した」9。​自分が​過失を​犯したわけではないのに、​聖母は​御子を​見失った。​必死に​なって​御子を​捜し求め、​見つかると、​この​上ない​喜びを​経験された。​私た​ちが​不注意や​罪の​ために​キリストを​はっきり見分けられない​とき、​歩いた​道を​引き返し、​改めるべき​ところを​改める​ための​力を、​聖母は​お与えに​なるでしょう。​そうして、​再び主を​腕に​抱き、​喜びに​むせびつつ、​もう​二度と​あなたを​見失う​ことは​ありません、​と​申し上げるのです。

​ マリアは​知恵の​母。​聖母の​助けが​あれば​最も​大切な​ことを​学ぶことができる。​主の​お傍に​いないなら、​何を​する​値うちも​ない。​万一、​心に​生き生きとした​愛の​焔が​燃え​上がらず、​真の​祖国での​終わりない​愛の​前金である​聖なる​希望の​徳の​光が​照り輝かないなら、​大きな​野心も、​この​世では​いかに​素晴らしい​ことも、​全く​役に​立たない​ことを​学びとることができるのです。

聖書への参照
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